富田義治の他流試合

はじめに

この記事では「帰ってきたウルトラマン」で監督を務めた富田義治について取り上げます。

監督デビューまでの略歴

富田義治は1935年12月25日生まれで岐阜県出身。1959年に東映に入社し、初めは東映京都撮影所に配属されていました。1965年の暮れまで加藤泰幸監督やマキノ雅弘監督、内田吐夢監督の他に10人の監督に助監督としてついたそうです。その頃から労働組合闘争が激しくなり、会社側の組合対策の一つで富田は折田至(後に「仮面ライダー」などで活躍します)などと共に東京撮影所内の東映東京制作所というテレビ映画専門の関連会社に移りました。以後はずっと大泉にある東映東京撮影所で仕事をしています。

さて最初に監督を務めたのが「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の間に放送された「キャプテンウルトラ」第18話「ゆうれい怪獣キュドラあらわる」(脚本:長田紀生、特殊技術:上村貞夫)と第19話「神話怪獣ウルゴンあらわる!!」(脚本:金子武郎、特殊技術:上村貞夫)でした。白石雅彦と荻野友大編著「帰ってきたウルトラマン大全」での富田の証言によれば

あの時はカメラの村上(俊郎)さんも抜擢されて、お互い好きにやろうっぜって言って、セットで大クレーンなんか使ったもんだから、お金がかかっちゃってしばらく干されました。だから次の『河童の三平』まで随分空いてるんですよ。

という暴れぶりだったそうです。東條昭平同様、気負いがあったのでしょうね。なお、上記の『河童の三平』は『河童の三平 妖怪大作戦』のことです。

柔道一直線

さて時が流れ、東映は「柔道一直線」を制作しました。この番組の制作に富田も参加しました。第2話「地獄車の弟子」(脚本:佐々木守)を皮切りに全92話中16話を監督しています。ここで橋本洋二と出会い、上原正三(第14話「剛道にぶち当れ」)と出会い、岸田森に出会ったわけです。白石雅彦と荻野友大編著「帰ってきたウルトラマン大全」で「柔道一直線」について富田はこう証言しています。

(前略)それとやはり特撮やトランポリン使って、予算の厳しいところをどうしようかって考えた印象のほうが多い作品ですね。ハイスピードカメラが使えないから健ちゃんにスローモーションの動きの芝居をやってなんて無理して頼んだこともありました(笑)。私は高校編に入って先生役で出演された岸田森さんの、大ファンになりました。でももうラストのほうになってくると、どうしても時間も予算もかけちゃう僕は外されちゃって(苦笑)。ロケで1日ワンシーンしか撮れないときもあって、撮影所に帰ってきたら同期入社の斉藤頼照(プロデューサー)に怒られたりしましたし(笑)。「柔道一直線」のあと「刑事くん」をやりました。

余談ですが、「刑事くん」も平山亨と斉藤頼照がプロデューサーを務めています。さて予算を使いすぎてしまう富田は東映にとっては頭の痛い存在ではあったのですが、この演出を放送局のTBSはどう見ていたのでしょうか。

帰ってきたウルトラマン」への参加

橋本洋二は富田の演出を高く評価していました。そして「帰ってきたウルトラマン」に富田を呼ぶことにしました。白石雅彦と荻野友大編著「帰ってきたウルトラマン大全」での証言です。

富田(義治)さんは僕の推薦です。『柔道一直線』の頭のほうを富田さんがやってくれてね。感性がヴィヴィッドで繊細な神経の持ち主でした。僕の主観的、感覚的なものなんだけど、気に入った監督で、僕自身、気持ちに納得がいくものがあったんですよ。『柔道一直線』は〝スポーツドラマ〟ですから、強引な作り方をしても番組は成立するんですが、それを細かく細かく作ってあるんですね。それもただ細かいだけではなく、彼の作品にはドラマ全体に爽やかな風が吹くんですよ。富田さんが監督をしてくれたお陰で『柔道一直線』は間違いなくうまくいくと直感しました。あの雰囲気がウルトラマンでも出せないかと思ったんです。それで彼に無理言って、円谷から東映に監督起用書のような書類を出してもらってわざわざ来てもらったんです。

さて上記で「円谷から東映に監督起用書のような書類を出してもらって」とありますが、これは円谷プロダクションが当時は東宝の系列会社だったことも関係しています。1971年をもって自然消滅したそうですが、五社協定を松竹、東宝大映、新東宝東映は結んでいました。後にこの協定に日活も参加しています。東映の専属監督である富田が東宝系列の円谷プロ制作の番組を監督するのは非常に難しかったのです。ですが、それでも橋本は富田を「帰ってきたウルトラマン」に参加させたかったのです。

富田義治の監督担当作品

富田は「帰ってきたウルトラマン」では次の話で監督を務めています。

  • 第5話「二大怪獣 東京を襲撃」(脚本:上原正三、特殊技術:高野宏一)
  • 第6話「決戦! 怪獣対マット」(脚本:上原正三、特殊技術:高野宏一)
  • 第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」(脚本:上原正三、特殊技術:佐川和夫)
  • 第14話「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」(脚本:上原正三、特殊技術:佐川和夫)
  • 第24話「戦慄! マンション怪獣誕生」(脚本:上原正三、特殊技術:大木淳)
  • 第25話「ふるさと 地球を去る」(脚本:市川森一、特殊技術:大木淳)
  • 第37話「ウルトラマン 夕陽に死す」(脚本:上原正三、特殊技術:大木淳)
  • 第38話「ウルトラの星 光る時」(脚本:上原正三、特殊技術:大木淳)

第24話と第25話以外は前後編です。これも橋本の意向です。第5話と第6話での活躍については以前も取り上げました。

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第13話と第14話は津波怪獣が登場するとあって特殊技術の佐川和夫が頑張りすぎ、円谷一が「会社を潰す気か!」と怒鳴り込んだという逸話も残っています。

さて遠矢孝信はきくち英一著『ウルトラマンダンディー 〜帰ってきたウルトラマンを演った男〜』でこう証言しています。

シーゴラス、シーモンスの時の監督の富田さんは、隊長役の塚本信夫さんとかいろいろな俳優の動きを見てからカット割りしておられました。ですから撮影の時間がすごくかかって現場が大分終了が遅くなって文句を言うスタッフが多かったです。でも面白いことにそんな監督だと案外いいものができるんです。

現場でねばる監督は、30分番組では喜ばれない。でもそういう時でも熱意が伝われば、スタッフが協力していいものができたりするんですね。

遠矢の証言通り、第13話と第14話は傑作です。元々東宝チャンピオン祭りで上映が決まっていた作品だったので、それなりに力が入った作品でした。それでも円谷一は佐川和夫に怒鳴り込んだんですけどね(苦笑)。で面白いことに第5話と第6話も後に東宝チャンピオン祭りで上映されています。苦笑しながら富田は東映の岡田社長も知らなかっただろうと回想しています。事実関係は分かりません。で上映された4作品(映画では前後編をまとめたので2作品)は非常に素晴らしい傑作だったと思います。上原正三の力もありましたが。

第24話「戦慄! マンション怪獣誕生」第25話「ふるさと 地球を去る」

ただ前後編ではない、以下の作品は富田も苦しんで演出したようです。

第25話は佳作だったと思います。「刑事くん」でも富田と組む市川森一白石雅彦と荻野友大編著「帰ってきたウルトラマン大全」でこう証言しています。

富田さんは、もう全面的に脚本お任せとおっしゃってました。富田さんというのはひじょうに感性豊かな方でしたが、山極さんのように論理で話を組み立てている監督ではありませんから、一緒にホンを作っていくということは不得手だったと思います。面白いかつまらないかということで判断する方でした。

でも富田さんと僕は、非常にいい感じで、「ふるさと地球を去る」なんか、富田さんと僕の代表作だと本当に思ってます。校長の像のところとか、ちょっとした描写を富田さんは非常に丁寧に撮ってました。普通、南隊員の台詞で終わるんですけど、ラストのために、あえて予定調和的な台詞を持ってきたんでしょうね。でも少年の「また起こらないかな?」というのが問題になってね(笑)。

「ふるさと地球を去る」は南と事件が起きた村の少年との交流を描いた話です。南は少年の頃、「ジャミっ子」と呼ばれるような弱虫でした。同じような少年と南は出会い、少年がマットガンを持ち出して怪獣に撃つのを見かけますが、クマと立ち向かった時の自分とダブらせ、敢えてそのままにします。怪獣は倒されますが、その後、少年は「また起こらないかな?」と言って、またマットガンを何発も撃つのです。これに衝撃を受けた南は「もういいだろう」とマットガンを取り上げます。市川の言う南隊員の台詞とは少年が「また起こらないかな?」と言う直前に南が言った台詞のことです。つまり

南「ふるさとはなくしても、ふるさとで戦った思い出は一生忘れないよ。これから先、どこの地へ移り住んでもくじけそうになったら、思い出すんだ。僕は昔、怪獣とふるさとで戦ったことがあるんだってな。」

のことです。こうした予定調和的なセリフを入れた後で「また起こらないかな?」と言う毒を市川は入れたのでした。それを映像化したわけですが、白石雅彦と荻野友大編著「帰ってきたウルトラマン大全」で富田はこう証言しています。

僕は脚本に手を入れて撮っていくことはほとんどしないし、基本的にはでき上がったものを受け止める方なんですよ(笑)。唯一の例外が〝ふるさと怪獣〟でしたね。これは市川さんと打ち合わせで詰めていきました。

(中略)

ラストシーンは後で東映の平山(亨プロデューサー)さんから「富ちゃん、ああいうことはやっちゃいかんぞ!」って言われたけど、自分では満足してます。

冒頭の部分は市川の証言通りのことも述べられていますが、この話だけは例外だったのですね。それでも、そのまま放送されました。

さて第25話「ふるさと 地球を去る」(脚本:市川森一、特殊技術:大木淳)で力を入れすぎたからか、第24話「戦慄! マンション怪獣誕生」(脚本:上原正三、特殊技術:大木淳)は普通の作品というレベルにとどまっていると私も思います。これについて、富田は脚本に負けたと証言しています。第25話で力が入りすぎたこともあったのでしょう。それが最後の演出となった第37話と第38話に影響してしまいます。

第37話「ウルトラマン 夕陽に死す」第38話「ウルトラの星 光る時」

まず、本編撮影を担当していた鈴木清の証言を紹介しましょう。彼は富田義治にもついてカメラを回していました。白石雅彦著「『帰ってきたウルトラマン』の復活」からの引用です。

鈴木 坂田アキ役のるみちゃんが死ぬ回、冨田さんだったんですが、僕は降りたんです。というのも冨田さんの演出方法に、自分が納得出来ない部分があったからです。冨田さんはなぜか、「よーい、スタート」をかけたあとはホンしか見ていなくて、役者さんの芝居を見ていない。ノンモンのところでもホンを見ていて、「はい、OK」と言っちゃう。だからある時、「監督!芝居見てください!」って、つい言ってしまいましたよ。そんなことが重なって、五、六本やって、結局降りてしまった……若気の至りですかね?でも不思議と冨田さんの作品は重厚感があって心に残る。きっと心眼で見てたのかも知れませんね。

これは富田自身の証言、橋本の証言、そして遠矢の証言とは一致しない話です。ただ、鈴木清も撮影にはこだわるタイプで白石雅彦著「『帰ってきたウルトラマン』の復活」では鈴木に関する証言が鈴木自身や山際永三の証言として、そのこだわりぶりが紹介されてます。第33話の撮影も鈴木が担当しています。なのでがんばりすぎるタイプの鈴木清には富田の姿が納得できなかったのでしょう。時期から考えると、第24話と第25話、特に第24話の演出に納得がいかなかったのだと思います。このため、第37話「ウルトラマン 夕陽に死す」と第38話「ウルトラの星 光る時」で本編撮影を永井仙吉が務めることになります。

その時の戸惑いを白石雅彦と荻野友大編著「帰ってきたウルトラマン大全」で富田はこう証言しています。

今まで本格特撮ができたのもある意味じゃ鈴木(清)さんあってのものだったんですけど、この時、鈴木さんが抜けちゃいまして。交代のカメラマンの永井(仙吉)さんから「監督、ファインダー覗いて決めてください」って言われた時は、え? ちょっと困ったなあって思ったんです。僕は勿論特撮との打ち合わせもしてコンテは決めてあるし、アップとかロングとかの指示はしますけど、画面の最終決定権はカメラマンに任せるって考え方だったんです。カメラマンが「監督、どうですか」じゃなくて「決めてください」って言うのを聞いたのは初めてだったのでとまどいました。

そして作品が作られました。私は非常によく作られた話で傑作だと思います。ナックル星人のウルトラマン研究、坂田アキの死、(それと前後しますが)坂田健の死、心が嵐のように荒れ狂い、病院の屋上から飛び降りてウルトラマンに変身する郷秀樹、ウルトラマンの敗北、初代ウルトラマンウルトラセブンの登場、洗脳されたMATメンバーを郷が丘と協力して解き、敵の本拠である宇宙開発センターへ向かっていく郷、ウルトラマンおよびMATが協力してナックル星人とブラックキングと戦い勝利する、最後に村野ルミと出会う。でも富田義治は傑作だとは思っていなかったかもしれません。白石雅彦と荻野友大編著「帰ってきたウルトラマン大全」で富田はこう総括しています。

現場に入ってると夢中になっちゃうんですが、今思うと最後の登板作品が一番アラが目立って悔いが残ってます。鈴木さんのカメラのつもりで現場に入って違ったものだから勝手が違っちゃいましてね。それでもカメラマンを引っ張って行けなかった自分の力不足でした。永井さんも急に頼まれて、僕とは初めてだし、お互いにわかり合えないうちに終わってしまって自分でも反省してます。

対する鈴木清にも悔いが残ったそうです。白石雅彦著「『帰ってきたウルトラマン』の復活」での鈴木の証言を引用しましょう。

その回でるみちゃんも岸田さんも死ぬということを知らなかったんで、後日作品を見た時ちょっとショックを受けました。あんな映像表現で殺すなんて酷いな、と思いましたね。今さらですが、僕だったらああいう撮り方をしなかったと思い後悔しています。

鈴木は富田が証言していた

僕は勿論特撮との打ち合わせもしてコンテは決めてあるし、アップとかロングとかの指示はしますけど、画面の最終決定権はカメラマンに任せるって考え方だったんです。

と言うのを誤解してしまったのでしょうね。

鈴木 (前略)冨田さんはなぜか、「よーい、スタート」をかけたあとはホンしか見ていなくて、役者さんの芝居を見ていない。ノンモンのところでもホンを見ていて、「はい、OK」と言っちゃう。だからある時、「監督!芝居見てください!」って、つい言ってしまいましたよ。そんなことが重なって、五、六本やって、結局降りてしまった……若気の至りですかね?でも不思議と冨田さんの作品は重厚感があって心に残る。きっと心眼で見てたのかも知れませんね。

と誤解してしまったのです。もし、鈴木清が降板せずにいたら、どうだったのかなあ、と私は思います。

とまあ、最後は富田は悔いが残ったようですが、白石雅彦と荻野友大編著「帰ってきたウルトラマン大全」での富田の証言はこの言葉で締められています。

スタッフはどこの会社に行っても活動屋だ、という感じで良かったですね。

似たような言葉を富田は講談社の本でも述べています。本当に良い思い出だったわけですね。

おわりに

この記事では富田義治監督を取り上げました。橋本が会社の垣根を超えて参加させただけあって、どれも作品の出来は良いと私は思います。なお富田と入れ替わりで佐伯孚治が東映から参加していますが、彼も大きな爪痕を残しています。

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帰ってきたウルトラマン」のスタッフは良い作品を作ろうと頑張っていたのです。富田と鈴木の対立はお互いに悔いが残ったそうで、それは鈴木や冨田の言う通り、彼らの力不足だったのかもしれません。でも作品から受けた印象は大きなものであったと私は思います。

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