きくち英一とJFAのみなさん

はじめに

この記事では「帰ってきたウルトラマン」でウルトラマンを演じたきくち英一と、彼が所属し、怪獣を演じた遠矢孝信なども所属していたJFA(ジャパンファイティングアクターズ)のみなさんを取り上げます。

きくち英一の著書『ウルトラマンダンディー帰ってきたウルトラマンを演った男〜』

この本の発行日は平成7年8月3日。私は社会人になっていました。この本が出版されることになったきっかけは次のとおりだそうです。ある時、きくち英一は『昇天! 酔っ払いOL』に出演し、撮影中に河崎実と話をしました。河崎はウルトラマン愛好家で、それならばときくちが撮影の合間に当時のスクラップブックを見せたところ、河崎は大興奮。そして河崎実はがきくち英一に招待状を出しました。河崎が作った映画の上映会を開くと言うのです。そして会場へ行ってみればいたのはきくちの子供と同世代の人ばかり。で河崎に控室に呼ばれ、話をしてと頼まれて「帰ってきたウルトラマン」撮影当時の話をしたら、これが大ウケし、打ち上げなどにも呼ばれるうちに朝になってしまったのだそうです。そして後日、その場に居合わせた風塵社の社長からハガキが届き、当時の話をまとめて出版しようとの話になったのだそうです。

きくちは河崎と共に「帰ってきたウルトラマン」を全話見返し、河崎の質問にきくちが答えるという感じで本が出来上がりました。合間には遠矢孝信の談話も挿入されています。そして全話見返した後、きくちと河崎が団時朗を呼んで話をしたのですが、その時の話も収録されています。さらには橋本洋二、満田かずほ、高野宏一、大木淳、佐川和夫、東條昭平、鈴木清の談話、そしてきくちが芸能界入りする経緯やきくちの(出版当時の)全出演作リストまで載っています。

きくち英一の略歴

きくち英一は1942(昭和17)年8月21日生まれ。世田谷区経堂で生まれ、次男として生まれました。きくちの兄は6歳離れていました。きくち曰く、父親がわりのような兄だとのこと。きくちの兄は1995(平成7)年当時で剛柔流空手8段だそうです。

そしてきくちは日本大学芸術学部演劇学科に進学。まず入ったのが落語研究会。次に入ったのが、日大芸術学部にしかないという、殺陣同志会と言うクラブです。これがその後のきくちの人生を決めます。

映像関係の初めての仕事が殺陣同志会でのアルバイトでした。日大殺陣同志会のOBからのつながりです。そして数々の仕事をこなしていたのですが、4年の時に転機が訪れます。それが日大OBが制作する東北新社の『戦国群盗伝』の撮影です。監督が土居通芳で新東宝の渡辺高光も出ていました。この二人との出会いがきくちに大きな影響を与えたときくちは述懐しています。

それからしばらくして、きくちは渡辺高光から声をかけられました。渡辺がJFA(ジャパン・ファイティング・アクターズ)を結成することにし、顧問に土居通芳と土屋啓之助監督を迎え、アクションもできる若手俳優を育成する、と言う話を聞き、きくちはJFAに入ることを決断しました。メンバーは日大の同期数人だったそうです。のちに日大の後輩も入りますが、その中に遠矢孝信がいました。

ウルトラセブン

そんなきくちに円谷一から電話があったそうです。

「正月放送の『ウルトラセブン』前編・後編(ペダン星人が操るキングジョー、脚本家金城哲夫氏からもじったとしか)の放送が間に合いそうにない。しいては君やってくれないか」との由。

と、きくち英一著『ウルトラマンダンディー帰ってきたウルトラマンを演った男〜』には書かれています。きくちは一回だけの約束で引き受けました。

さてウルトラセブンを演じていた上西弘次は身長172cmの「ガッチリタイプ」できくちは身長178cmの「ヒョロッとしたモヤシタイプ(当時)」で当然、今まで使っていたウルトラセブンのスーツをきくちが使うことはできません。そのため、ウルトラセブンのスーツは新宿御苑のアクアラング屋へ行って新調されました。

こうして撮影が行なわれ、きくちは大変な仕事だったと実感します。余談ですが、キングジョーを演じた中村晴吉よりもきくちは高身長だったため、キングジョーの強さを見せるためにスタッフは苦労したそうです。

帰ってきたウルトラマン

さてウルトラセブンを演じてから4年経ったある日、きくちのところにまた円谷一から電話がかかってきました。

「今度、帰って来たウルトラマンをやることになった。しいてはお宅に誰かいい人いないか」とのことでした。

と、きくち英一著『ウルトラマンダンディー帰ってきたウルトラマンを演った男〜』には書かれています。きくちはウルトラセブンを一回やっていたため、その大変さをわかっており、1年通してやるにはその動きのセンスもともかく、相当の体力を要するだろう、と考えました。そこで新東宝出身の中岡慎太郎を紹介することにしたのです。中岡の身長は170cmくらいでしたが、ボディビルで鍛えた身体は胸にビール瓶が挟めるほどの筋肉マンだったそうです。面接を受けた中岡は採用となり、きくちも一安心しました。

ところが、また円谷一から電話がかかってきました。

「主役が団次郎君になった。しいては中岡君だとあまりにも体型が違う。君がやってくれないか」とのこと。

と、きくち英一著『ウルトラマンダンディー帰ってきたウルトラマンを演った男〜』には書かれています。さあ、困りました。過酷な仕事な上に東映のヤクザ映画に出始めた頃で、この仕事を受ければ1年は他の仕事には手を出せなくなります。そこできくちは体よく断る作戦を考え、次の2条件を提示しました。

  1. ギャラをふっかける。
  2. 隊員とか顔出しの役の要求。

まず1については中岡に提示されたギャラを知っていたので、その1.5倍を要求したそうです。きくち曰く、「はっきり言ってこれはむちゃな額でした。その証拠に翌年、それまであまり貯金もなかった私がマンションを買ったんですから。」だったのですが、あっさり「いいですよ」と返って来たそうです。で2については隊員の役を要求したのですが、「いやね、もう隊員は決めちゃったんだ。でもまあ何か考えるから」というわけで断る理由がなくなってしまい、渋々きくちはウルトラマン役を引き受けざるを得ませんでした。なお、きくちは第13話と第51話に顔出し出演しています。

次に怪獣役もきくちは紹介を頼まれました。重労働であることは知っていましたから、アクションセンス、体力、何より素直なやつということで、日大の後輩でJFAに入りたてだった遠矢孝信に頼むことにしました。遠矢がきくちに飲むとよく「先輩、やれと言われれば断れる状況じゃなかったでしょ。」言ったそうですが、まあこうして怪獣役も決まりました。きくちのウルトラマン、そして遠矢の怪獣はスタッフが賞賛していたそうです。遠矢はタッコングのような2本足の怪獣からキングザウルス3世やステゴンのような4本足の怪獣まで演じていました。よく4本足の怪獣は人間が入る関係で後脚が折りたたまれてしまうことが多いのですが、キングザウルス3世やステゴンは後脚が折りたたまれていません。

きくちも遠矢もいやいや参加したのですが、いつの間にか仕事にはのめり込んでいました。殺陣師がいなかったこともあり、またウルトラマン出現まで比較的ヒマだったこともあり、きくちは出来上がった怪獣を見て絵コンテを描いて監督や遠矢と相談しながらアクションを決めていたそうです。きくちはトランポリンの使用も発案し、ウルトラマンがシーゴラスに角で空へ飛ばされる場面が撮影されました。今まで「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」ではトランポリンは使用されていませんでしたが、これが初めてのトランポリン使用となったのでした。

そのかいもあり、JFAの渡辺高光の妻からは「きくちさんの仮面には表情がある」と誉められ、スタッフからは「お前と遠矢は最強コンビだ」と言われたのです。

さて怪獣は話によっては2頭登場しましたし、またウルトラセブン初代ウルトラマンが登場したこともあるので、きくちと遠矢だけでは当然人が足りません。そこでJFAの他のメンバーも呼ばれました。その内訳は、現在判明しているのは次のとおりです。まずヒーローについては次のとおりです。

で怪獣については次のとおりです。

  • 遠矢孝信(メイン)
  • 菊池英一(ザザーン)
  • 関国麿(デットン)
  • 森平(下の名前は不明)(ツインテール、シーモンス)
  • 有川兼光(ブラックキング、パラゴン〈前部〉)
  • 斉藤忠治(ミステラー星人〈善〉、バット星人)
  • 高山(下の名前は不明)(メシエ星雲人)

ただ全員がきくちや遠矢ほど巧かったわけでもありません。きくち英一著『ウルトラマンダンディー帰ってきたウルトラマンを演った男〜』で遠矢孝信がこう証言しています。

監督はね、かなりきくちさんを信頼してました。怪獣が複数出てJFAから若いのが来る時なんか、そいつ当然慣れてないですから下手で、監督が何か言いたくても、これ以上はきくちさんに悪いかなって、少し遠慮していたくらいです。

そういうときは、僕がね、雰囲気察してつないだりもしてました。

メシエ星雲人は河崎が茶化すほど、お手上げの状態だったそうです。きくち英一著『ウルトラマンダンディー帰ってきたウルトラマンを演った男〜』から引用しましょう。

〜宇宙人走りながら無意識にマスクのズレ直す〜

河崎 あ〜、マスク直してる! 計算してできる動きじゃないですね。なんか変ですよね。

きくち 監督もね、あきらめちゃって、「もう何でもいいからとにかく動け」ってね(笑)。

これは本当にあった場面で、見返して気がついた時、私は笑ってしまいました。実際、よく見ると本当にメシエ星雲人は「とにかく動」いているだけで、遠矢が入ったナックル星人とは雲泥の差のヘタクソぶりです。スーツが細くて遠矢孝信が入れず、仕方なく起用されたのだそうです。

なお同時期に「スペクトルマン」が制作されており、JFAのメンバーは同番組に参加していました。遠矢孝信は(当初の)主役のゴリを演じていたため、当然掛け持ちとなり、きくちの自転車やピープロが用意した車に乗ってスタジオを行き来する羽目に陥りました。それでも日程が合わなかったこともあったそうで、きくち英一著『ウルトラマンダンディー帰ってきたウルトラマンを演った男〜』で遠矢孝信がこう証言しています。

当時僕は『宇宙猿人ゴリ』もやってましたから、時にはウルトラマンとスケジュールがかちあうこともありました。先輩のチャリンコを借りて往復したり、向こうの制作さんが迎えに来てくれたり大変でした。東條昭平助監督さんが、僕が帰ってくるまで入ってたこともありましたね。ウルトラマンとのからみは僕ですが、サドラの出現のシーンとか東條さんが入ってたと思います。

おわりに

この記事ではウルトラマンを演じたきくち英一と怪獣を演じたJFAのみなさんを取り上げました。最終的に遠矢孝信はぎっくり腰を発症して番組の打ち上げには参加できず、ウルトラマンを演じたきくち英一も塩分不足との診断が出たため、次の「ウルトラマンA」役を固辞しました。ただ彼らの苦闘があったおかげで「帰ってきたウルトラマン」は名作になったのだと思います。

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