『新堀和男とガチトーク!レッド・アクションを守り抜いた男のプライドとは?<危険すぎて配信ナシ!>』へ行った

前回の記事を書いてから70日くらい経ってしまいました。

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仮面ライダーBLACK』を降りた時の上原正三さんの如く、なんだか疲れてしまった感じでした。そんなある日、次のイベント開催の情報が流れてきました。

あ! でも大阪で日曜日の夕方までの開催となるとそれなりにエネルギーが必要だなあと悩んでいるところへ、今度は次のイベント開催の知らせが入ってきました。

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こちらは土曜日に渋谷での開催で自宅から日帰りで行けますし、翌日が日曜日なので疲れても休めます。なので迷った挙句に『新堀和男とガチトーク!レッド・アクションを守り抜いた男のプライドとは?<危険すぎて配信ナシ!>』へ行く事にしました。

実は新堀和男さんやミチ・ヤマトさんとは別のイベントでお会いしています。新堀さんとは中野サンプラザで開かれた、誠直也さんとだるま二郎さんも登場したイベントでサインも頂いています。ツーショットの写真も撮影していただきました。

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ミチさんとは岡田勝さんも登場したイベントでチェキを撮っていただいていますが、私の目が確かならば、ミチさんが公開した動画で私も映っています。

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まあお二人が覚えていらっしゃるかどうかは定かではありませんが。

そしてアメリカを拠点に活動しているミチ・ヤマトさんがわざわざ来日して開催されることと、イベントで取り上げられる内容に私の食指が動きました。

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第一部はまさにその動画通りの話が展開されました。時計を観る事は一度もなく、グイグイ引き込まれて聴いているうちに予定の1時間を10分近く超過して第一部は終了しました。その内容は「<危険すぎて配信ナシ!>」と銘打たれているのが伊達ではなくて全てを明かす事はできませんが(苦笑)、書いても大丈夫そうな事だと私が思うものを箇条書きにするとこんな感じです。まあどこかで新堀さんがお話ししている事も多かったと思いますが、初めて聞く話もありました。

  • 大鉄人17』の撮影はきつかった。ワンセブンの頭部を壊して休んでしまった事がある。これが理由で芸能界引退を決意した。
  • 引退後、飲食店で料理の仕事をしていたら、ある時、カシラ(高橋一俊さん)が何度かやってきた。それを見兼ねた「料理の師匠」から新堀さんが「一度会ってはどうか」と言われ、新堀さんはカシラと会う事にした。
  • それがきっかけで新堀和男さんはフリーランスとして『バトルフィーバーJ』でバトルジャパン役として出演。カシラのチーム(ビッグ・アクション)が降りてアクション担当がJACになった。自分も降りるつもりだったが慰留されて最後までやった。
  • 電子戦隊デンジマン』でデンジレッドを演じるようにと言われたので、そのまま演じ、『太陽戦隊サンバルカン』でもバルイーグルを演じる事になった。
  • (ここが本当の意味で決定打となったと私は思うのですが)サンバルカン撮影初期に腕を骨折。療養したのだが一週間(!)で復帰。新堀さん骨折療養時は当然代役が立ったが新堀さんほどの見せ場を作れず、結果、新堀さんがバルイーグルに復帰する事になった。
  • 周りの人はJACの人間だったので、新堀さんは本当に孤軍奮闘した。初めの方、話し相手は春田純一さんと大葉健二さんしかいなかった。二人とも新堀さんとは同年で『仮面ライダー』で一緒に仕事をしているから。(腹落ちの)飛び降りは大葉さんに教えてもらいながら技能を磨いた。
  • 何本かやっていくうちに今度は若い人が新堀さんを慕って面倒を見てほしいと言ってくるようになった。面倒を見るからには「バイトせずに食わせていかなくてはならない」それがレッド・エンタテインメント・デリヴァー結成に繋がった。
  • ロボ搭乗時の「コクピットアクション」をやろうと言い出したのは新堀さん。技の名前を叫んでスイッチを押すだけでは見栄えが悪いので何かやろうと発案した。なお私はつい最近までバトルフィーバーロボが電光剣唐竹割りを放つ時、メンバー全員が両腕を広げている事に全く気付かず、つい最近、東映チャンネルで『バトルフィーバーJ』を放送した時に気が付いたという体たらくでした(^^,。

確かにサンバルカンの骨折は危機だったと思います。でも、それが新堀さんの存在を印象づける事になったと思います。また、吉川進プロデューサーが新堀さんの技能を高く買っていたことも大きかったようです。

そして第二部は新堀さんのお弟子さんである福沢博文さんを交えた話になりました。福沢さんは最初は大野剣友会に入ったのですが、岡田勝さんから、(当時の)大野剣友会は大人向けドラマの仕事が中心で「子供番組」に参加する機会は少ない、と聞いたのだそうです。福沢さんは「子供番組」の仕事をしたかったそうです。そこで岡田勝さんが福沢さんを新堀和男さんに引き合わせて移籍させたのだそうです。最初は戦闘員などの絡みからスタートしたのですが、シンであるレッドを演じ、アクション監督も務め、ついには監督も務めるようになりました。ミチさんや新堀さんも交えた対談では役割分担や、昔と今の制作のやり方の違いなどの話も飛び出したのですが、私は所謂ニチアサの番組をほとんど観ていないので論評は不能です。ただ、CG担当の人とは撮影現場で打ち合わせをするという話は、円谷プロで合成担当の中野稔さんが撮影現場にも立ち会ったという話を思い出し、実は基本は今と昔と変わっていないのではないかなあ、と思いました。

第二部が終わった後、『アンコール』でまたミチさん、新堀さん、福沢さんが登場。レッド・エンタテインメント・デリヴァーのメンバー2名も交え、福沢さんが監督、新堀さんがシン兼アクション監督という形でアクションが披露されました。ここから動画はダメだけど写真撮影はOKという状態になったので撮ったのですが、私の技能の問題でご紹介できるのは手合わせの次の写真のみです。

最後のレッドアクション手合わせの様子

そしてチェキ準備の間に質疑応答の時間が即興で設けられました。私は思い切って新堀さんに質問してみました。もし、カシラ(高橋一俊さん)が来なかったら今はどうなっていたと思いますか? 新堀さんはしばらく考えた後、「板前」と答えたのでした。やはり、カシラこと高橋さんが新堀さんのところへ行ったのは色々な人の人生を決めたのだと思います。

物販やチェキも行なわれました。日程上の問題で私はチェキには参加せずに帰りましたが、とても充実した時間を過ごせました。運よく一番前の席に座ったのですが、登壇者の方と目があうことも多く、緊張しました。

さて実は澄川真琴さんにも伺いたいことがあります。もし大泉にある東映の東京撮影所でプロデューサーと会わなかったら今どうなっていたと思いますか? おそらく、あのイベントで『仮面ライダーBLACK RX』の話が出る事はなかったでしょう。そして私が『仮面ライダーBLACK RX』を観る事はなかったと思います。

なおミチさんはアメリカでマスクド・ライダーこと仮面ライダーBLACK RXスーツアクターをアクション監督兼任で務めています。『ビーファイターカブト』も担当したそうですが、パワーレンジャーと比べると制作環境は恵まれてなかったようです。ミチさんはその話もなさっていた事を付け加えておきましょう。