怪奇大作戦 -上原正三の脚本家としての開花-

はじめに

この記事では上原正三が脚本家としての才能を開花させたと言える作品、「怪奇大作戦」を取り上げます。上原自身が述べている通り、これまで金城哲夫の助手としての地位に甘んじていた上原が一本立ちを始めた作品でもあるのです。

「マイティジャック」の失敗

さて「ウルトラセブン」でも述べた通り、円谷プロはフジテレビで「マイティジャック」というドラマを放送していました。放送時間帯は土曜日の午後8時から1時間。巨大戦艦マイティジャックに乗る11人(初期)のメンバーが秘密結社Qに立ち向かうというのが大筋の流れでした。制作費は1000万円。この作品が成功すれば円谷プロの累積赤字も解消されるに違いない、と円谷プロの人達は皆浮き足立っていました。

ところが、「マイティジャック」は失敗作に終わります。第1話「パリに消えた男」の視聴率は11.3%。裏番組にはNET(今のテレビ朝日)が時代劇「素浪人月影兵庫」を放送するなど強敵揃いだったこともありましたが、要因は別のところにもあります。要するに当時は特撮番組を大人が観る習慣がなかったこともあったのでしょうが、脚本の方も大人向けドラマを書いた人が中心に布陣され、金城哲夫は裏方に徹しました。結果、お話はマイティジャックのメンバーと敵や被害者との葛藤と言った人間ドラマに重きが置かれたものになってしまい、特撮が入る意味が希薄な中途半端な作品になってしまったのです。「マイティジャック」も再放送の機会が全くなかったので私は大人になってから観たのですが、非常につまらなかったのをよく覚えています。フジテレビは制作第1話(放送は第9話)を演出した野長瀬三藦地の演出能力を低くみていたそうですが、そもそも若槻文三の脚本もいまいちだったので野長瀬も腕のふるいようがなかったというのが真相でしょう。「マイティジャック」は第3話「燃えるバラ」が視聴率10%台をキープした最後の作品になってしまい、第4話以降は一桁に転落してしまいました。そのため、1クール13本で打ち切られてしまいました。流石にフジテレビも円谷プロに配慮したのか、続けて30分番組「戦え! マイティジャック」に模様替えさせ、2クール26本放送しましたが、もはや敗戦処理でしかありませんでした。

橋本洋二始動

さて「マイティジャック」が始まった頃、「ウルトラセブン」のプロデューサーが三輪俊道の他に橋本洋二もつくようになりました。よく「ウルトラセブン」が人間ドラマ中心になったのは橋本洋二が参加したからだと言われますが、それはファンの誤解です。橋本自身も上原正三もそのことを否定しています。橋本の役割は「ウルトラセブン」の後番組の企画と制作にあり、「ウルトラセブン」に参加したのは次の作品をどう言ったものにするかを決めるための調査を行なうためでした。実際、上原は「ウルトラセブン」の脚本の打ち合わせを最後まで三輪と行なっていますし、飯島敏宏や実相寺昭雄円谷プロに呼び戻したのも三輪です。

ただ橋本洋二が「ウルトラセブン」の次の番組の骨格を決めたのは紛れもない事実ですし、金城達に「隊長は"出動!"しか言わないんですか?」と聞いたのも事実だそうです。隊長だってその日の感情で「出動!」というニュアンスが変わるんじゃないんですかと橋本は思ったのです。これには金城哲夫も驚いていたと上原は証言しています。そして、これが橋本と金城のすれ違いの始まりになってしまったのです。

さて「ウルトラセブン」の次回作が科学を悪用する者との戦いを描くことは橋本によって決められ、円谷プロ、というより金城哲夫もその趣旨にそって…というよりはそったつもりで「科学恐怖シリーズ トライアン・ホーム」、「科学恐怖シリーズ チャレンジャー」というような企画書が作られました。ですが、橋本洋二が考えていたものと円谷プロが出してきたものとは大きな隔たりがありました。金城哲夫が考えていたのは科学を悪用するものに立ち向かうチーム側の人間ドラマを描くことでした。ですが、橋本洋二が考えていたのは科学を悪用するものの方の人間ドラマを描くことだったのです。要するに視点が別だったのです。この溝はなかなか埋まらなかった、というか、最後まで埋まりませんでした。橋本洋二は白石雅彦著「「怪奇大作戦」の挑戦」でこう証言しています。

橋本  要するに「スパイ大作戦」に影響されていたんですね。僕は、そういったものをやる気ない、ちゃんと人間を描いたものをやらないといけない、と伝えていたんですけど、あの頃金城さんは、「マイティジャック」の方で忙しかったでしょう。だからあまり打ち合わせをする時間がなかったんですね。その成果、企画書が出来ても、僕の考えとは根本的に何かが違っていたんです。

結局橋本は佐々木守に「死神と話した男たち」というプロトタイプというべき脚本を書いてもらい、スポンサーの武田薬品には、この脚本に書かれているような話を展開していきます、と説明することにしたのでした。白石は橋本が考えていた路線は「スパイ大作戦」ではなく「七人の刑事」のそれなのだと書いていますが、佐々木は「七人の刑事」も書いていたのでした。

制作第1話「人喰い蛾」放送延期

とりあえず番組の方向性をなんとか橋本洋二は決めましたが、制作第1話は金城哲夫円谷一のコンビで作ることになりました。この第1話を作る時もなかなか金城と橋本の意見は噛み合いませんでしたが、最終的に金城は自動車業界を牛耳ろうとした外資の産業スパイが鱗粉で人をとかしてしまう蛾を操って暗躍し、それにSRIの三沢達が立ち向かうという話を書き上げました。金城が描いたドラマは三沢らSRIが中心となったエンターテイメントドラマで橋本が目指していた人間ドラマとは方向性が違います。でも時間がなかったので橋本は妥協し、この話を第1話として制作をはじめました。なんとか「人喰い蛾」は制作が終わり、試写が行なわれたのですが、ここで事件が起きました。円谷英二が作品の出来に満足しなかったのです。人喰い蛾に襲われて人間が溶ける場面の映像に納得できなかったのです。これは橋本も同意していたようですが、「とりあえず局に持ち帰ります」と試写室では答えたそうです。ですが持ち帰って映画部長に見せたところ、彼も「これはひどいね」という感想を持ったそうです。なので「人喰い蛾」は制作をし直すことになってしまい、放送第1話に間に合わなくなってしまったのでした。「人喰い蛾」は結局第2話となりました。では放送第1話はなんだったのでしょうか。

第1話「壁ぬけ男」

「人喰い蛾」に代わって第1話となったのが制作第2話だった「壁ぬけ男」です。これは上原正三が脚本を書いていますが、話の内容は自らも脚本を書く飯島敏宏監督の発想が多くいかされたものでした。白石雅彦著「「怪奇大作戦」の挑戦」で飯島はこう証言しています。

飯島 今度の番組は"怪奇"路線だと聞いたとき、僕に浮かんだイメージは"怪人二十面相"とか、赤マントとか、子供の頃見た、浅草の見せ物小屋のイメージなんですよ。

おや? 飯島も根は娯楽重視の人ですから、実は橋本洋二とは視点が違いました。ですが、この話には金城が書いた「人喰い蛾」にはなかったものがありました。脚本を書いた上原正三の証言はこうです。

上原 これは飯島監督らしいエンターテーメントな作品だったね。過去の栄光が忘れられない怪盗の物語。

そう。「過去の栄光が忘れられない怪盗の物語」だったからこそ、この話が第1話に繰り上がったのです。奇術師・一鉄斉春光は脱出のマジックに失敗して引退しますが、怪盗キングアラジンと名乗り、怪人二十面相よろしく数々の宝物を盗んでいきます。ですが、最終的にはSRIの牧の活躍により悪事が露見。キングアラジンは湖底に潜り、最後は水圧で圧死するというのが大筋でした。確かに科学を悪用するもののドラマになっています。なので橋本はこう証言しています。

橋本 佐々木君の「死神と話した男たち」に一番近いのが「壁ぬけ男」だったんですよ。犯人の哀れさというか、ある種の情が出ているでしょう。ですから「壁ぬけ男」を第一話に持ってきたんです。

なお飯島の路線が橋本洋二の狙いと違っていたことは飯島も認めています。

第9話「霧の童話」

次に上原正三が単独で書いた脚本が「霧の童話」(監督:飯島敏宏)です。正確には第3話「白い顔」を金城哲夫と第8話「光る通り魔」を市川森一と共作していますが、どちらも上原はなおし程度の参加にとどまっており、元の話を発想したのは金城、市川の方です。ただ、市川との共作は円谷一監督の演出ですから、後者は円谷一の意見も入っているのだと思われます。

さて「霧の童話」はこういう話です。地方の村に外資の自動車メーカー「デトロイトモータース」の工場が進出することになりました。村は進出に賛成する若者と進出に反対する老人とで意見が真っ二つに割れてしまいます。そんなある日、賛成派の若者が落武者の亡霊に襲われる事件が起きました。村には戦国時代の落武者伝説があったのです。落武者の祟りに違いないと言い出すものまで現れました。SRIの三沢の調査で事件は旧日本軍で毒ガス製造に関わっていた老人が霧の中にある種の催眠ガスを混入させて反対派を錯乱させるという手口だったことが判明します。SRIは引き上げますが、その直後、村が鉄砲水に襲われ、全滅してしまうのでした。

この話は上原正三の発案によるものです。そして外資の工場に支配されるのに老人が抵抗するというのは沖縄問題をも暗示させます。上原は白石雅彦著「「怪奇大作戦」の挑戦」でこう証言しています。

上原 それまでは金城の後追いで、いわば亜流だったんだけど、「怪奇大作戦」をやってみて、こんなことをやってもいいんだ、という手応えがあった。それはやはり橋本洋二の存在が大きいよね。

このことが後に上原と金城の人生に大きな影響を与えてしまいます。

第15話「24年目の復讐」

こうして手応えを得た上原は続けて2本の脚本を書きました。この2本も沖縄問題を織り込んだものになりました。

まず鈴木俊継が監督を務めた「24年目の復讐」は横須賀を舞台に旧日本軍の元軍人が水棲人間と化し、敵国アメリカの兵隊を襲うという話です。今もそうですが横須賀は米軍基地の街です。ドルで支払いができる店もあるくらいです。当時まだ沖縄は日本に返還されておらず、アメリカの支配下にありました。道路も車が右側を走っていたのです。ただこの作品、少々残念なことに脚本では「奇っ怪な水棲人間」「黒い人間」と記述されているのですが天本英世演じる元軍人は旧日本軍の兵士そのままの姿になっていました。また最後は元軍人はアメリカの戦艦に向かって特攻していくのですが、脚本では三沢の撃ったピストルの弾が当たって爆発するのに対し、映像ではいつの間にか中途で元軍人が自爆するという流れになっており、なんか消化不良な感じを残してしまいます。私は先に脚本を読んでいたので元軍人が元軍人の姿のままだったのを観て初見の際は唖然としたのを覚えています。

第16話「かまいたち

続く第16話は変化球的に沖縄問題を取り上げた「かまいたち」(監督:長野卓)です。これは地方から上京した工場の工員が連続無差別殺人事件を起こすという話です。上原はアルベール・カミュ原作の映画「異邦人」からこの作品を発想したようです。「異邦人」の舞台はフランスの植民地だったアルジェリア。それに日本とアメリカの植民地だった沖縄の姿を重ねたのです。金の卵と言われた地方からの上京した人達の姿が沖縄から上京した自分とダブって見えたのかもしれません。

さて牧は直感的に犯人が誰なのかを悟ります。ですが野村に理由を聞かれても牧には説明ができません。上原が意図して書いたのかは定かではありませんが、この話は誰もが連続殺人事件を起こすような狂気を抱いているということもテーマになってしまったのです。この話では犯人は一言もセリフがありません。最後、取調室でも黙りこくっている犯人をみて、完成作品では上原の脚本にはない、次の牧のセリフで締め括られています。

牧(声)「真面目で…、おとなしくて…、イタチのようにおどおどした目のこの男が…、どうして…?」

脚本にないということは監督の長野卓が追加したものです。長野は牧、いや誰もが持っている人間の狂気に着目してこの話を映像化したのは間違いありません。この主題はリメイクに当たる「怪奇大作戦 ミステリー・ファイル」第4話「深淵を覗く者」で、牧が犯行に共感を覚えたかのように犯行に使われたものと同じような真空切断装置を試作してしまい、警察に犯人として疑われるという形でより強調されることになってしまうのでした。なお題名の「かまいたち」は真空切断装置によって起こる真空状態にちなんで作られています。

おわりに

この記事では上原正三が脚本家として才能を開花させた「怪奇大作戦」を取り上げました。次は円谷プロを辞めた上原の足跡をたどっていきます。

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ウルトラセブン -上原正三 Advent Calendar 2020 4日目-

はじめに

この記事では「ウルトラマン」の後継企画となった「ウルトラセブン」での上原正三の軌跡を取り上げます。

ウルトラマン」終了

ウルトラマン」は「ウルトラQ」以上の人気作となりました。最高視聴率は第37話「小さな英雄」(脚本:金城哲夫、監督:満田かずほ、特殊技術:有川貞昌)で記録した42.8%。最低視聴率は第5話「ミロガンダの秘密」(脚本:藤川桂介、監督:飯島敏宏、特技監督:的場徹)で記録した29.0%。この数字からもわかる通り、常時30%以上を記録していました。平均視聴率は35.6%でした。まさに怪物番組です。演出した監督もTBS映画部から派遣された円谷一、飯島敏宏、実相寺昭雄、樋口裕三、東宝から出向してきた野長瀬三藦地、そして円谷プロの社員だった満田かずほ、鈴木俊継が腕をふるい、冴えた話を連発していました。円谷英二が監修として参加し、特に特撮については納得の行かないカットには撮り直しを命じるなど、品質にこだわった事も功を奏したのでしょう。しかし、この英二のこだわりは制作日程の過密化や制作費超過に繋がるという短所でもありました。

まず制作費超過について書きましょう。「ウルトラQ」「ウルトラマン」の制作費としてTBSから円谷プロに出されていた金額は1本あたり538万円でした。これは当時のテレビ映画では破格の金額でTBSもかなり頑張っていたことがうかがえます。ですが、実際はそれでは制作費を賄いきれず、毎回200万円近い赤字を円谷プロは出していました。これが積もり積もればどれだけの金額になるのか。単純に計算しただけでも1億円を超えています。

次に制作日程の過密化について書きましょう。「ウルトラマン」の制作は飯島敏宏監督の演出した第2話「侵略者を撃て」(脚本:千束北男こと飯島敏宏)、第3話「科特隊出撃せよ」(脚本:山田正弘)、そして第5話「ミロガンダの秘密」の3本持ちで始まりました。特技監督として的場徹がクレジットされていますが、スタッフは本編と一緒の一班体制でした。そのため飯島は本編の監督でありながら特撮にも関わり、スペシウム光線のポーズを発案したりもしています。一班体制の3本持ちになったのは予算削減を狙ってのものだったのですが、制作はうまく行かなかったようで、次からは本編と特撮の2班体制になり、3本持ちではなく2本持ちになりました。そして特撮の方も上述した通り、円谷英二のこだわりで再撮影が重なった結果1班ではまかないきれなくなり、2班、一説には最大3班体制になったと言われています。第19話「悪魔はふたたび」ではクレジットは高野宏一になっていますが、円谷英二自ら国立競技場でのアボラスとバニラの戦いなどの特撮を担当しています。そして同じ頃に制作された第18話「遊星から来た兄弟」の特撮にも英二は大木淳に指示を出しています。第37話「小さな英雄」と第38話「宇宙船救助命令」の特撮を東宝有川貞昌が担当したのもそうした事情があったことを、白石雅彦著「ウルトラマンの飛翔」の中で満田かずほが認めています。

TBSも円谷プロも制作費超過と制作日程の逼迫を危惧していました。「ウルトラマン」は当初は2クール分26話の制作が決まりましたが、2クールを過ぎた段階で決まった延長分はもう1クールの3クール目のみ。先述した通り、「ウルトラマン」は人気作となっていましたから、TBSとしては4クール目も「ウルトラマン」で行きたかったはずですが、同時にその制作が難しいことも危惧していたのです。

東映の中継ぎ作品「キャプテンウルトラ

結局、「ウルトラマン」は3クール39話で終了しました。後番組は東映が制作した「キャプテンウルトラ」です。題名に「ウルトラ」とついているのは「ウルトラQ」「ウルトラマン」と続いたため、TBSがこの枠をウルトラシリーズとして売り出す思惑があったからです。「キャプテンウルトラ」は宇宙を舞台にした話で、キャプテンウルトラ(演じたのは中田博久)が3体に分離する宇宙船シュピーゲル号の乗って宇宙からの侵略者や宇宙怪獣と戦うという話です。他のレギュラーはロボットのハック、宇宙人のキケロのジョー(演じたのは小林稔侍)、そしてあかね隊員(演じたのは城野ゆき)でした。この企画、ほぼ同時期に日本でも放送された「サンダーバード」の影響があったような気もします。ちなみに東映は「キャプテンウルトラ」を制作費350万円で請け負っていますが、「ウルトラマン」よりも少ない金額だったため、当然、大赤字となりました。ですがTBSに制作会社として認知されたことで後に「キイハンター」「アイフル大作戦」「バーディー大作戦」「Gメン'75」と言った番組の制作に繋がるのでした。まずは放送局との縁を作るため、ダンピングして売り込んで作られた番組だったのでした。

こうして「キャプテンウルトラ」の放送が開始されましたが、その後番組は円谷プロ制作の番組となりました。「キャプテンウルトラ」の平均視聴率は25.6%。そんなに低い数字ではなかったとは私も思いますが、「ウルトラマン」の平均視聴率35.6%の後だったため、あまり良い印象を残せませんでした。こうなった理由は明白で主人公が巨大化した宇宙人ではなく等身大の人間だったことに加え、初期の敵も等身大のバンデル星人で「ウルトラマン」に比べてスケールダウンした印象を当時の子供達に与えてしまったからです。バンデル星人が操る巨大怪獣が登場した第1話の視聴率が31.7%、巨大怪獣が登場しなかった第2話が32.2%とまずまずの数字を記録していますが、第2話には怪獣が登場しなかったからか、第3話では29.9%を記録。以後、視聴率は低下の一途をたどってしまったのです。TBSや東映も視聴率向上のため、1クールでバンデル星人編を終了させ、人気のなかったキケロのジョー(演じたのは小林稔侍)を降板させ、怪獣続々登場編と銘打って路線変更を行ないましたが、2クールの予定より2話短い24話が最終回となってしまいました。

キャプテンウルトラ」は再放送に恵まれなかったため、私が見たのは大人になってからです。宇宙が舞台の話でロケーションは一切なく全場面でセットが組まれて製作されていました。これが制作費超過の要因になったのは間違い無いでしょう。後に円谷プロの作品でも活躍する矢島信男が特撮を担当していますが、実は彼は松竹から東映に来た人で松竹在籍時代に円谷英二と一緒に仕事をしたことがあったのだそうです。ただ特撮の出来は円谷プロより劣ったのは否めませんでした。後に上原正三東映作品で仕事をした時にプロデューサーの平山亨にその理由を尋ねたそうですが、当時はあれが精一杯だった、という答えが返ってきたそうです。

ウルトラセブン

放送開始

ウルトラセブン」の第1話「姿なき挑戦者」(脚本:金城哲夫、監督:円谷一、特殊技術:高野宏一)は1967年10月1日に放送されました。視聴率は33.7%で、まずまずのスタートを切りました。私は小学校4年生の頃、毎週土曜日の朝7時に行なわれた再放送が初見です。風来坊モロボシダンがウルトラ警備隊のフルハシとソガと遭遇し、クール星人と戦いを開始する中盤までは円谷一監督の演出もあって面白かったのですが、ダン操るカプセル怪獣ウィンダムがクール星人の小型円盤群の攻撃に敗れたり、ダンが変身したウルトラセブンが等身大のままクール星人の円盤の中に潜り込み、さしたる抵抗をクール星人が見せぬままアイスラッガーで倒されるという流れは物足りなさを感じたのを覚えています。実はその後、ウルトラセブンは巨大化してクール星人の円盤を宇宙へ運んで破壊しているのですが、巨大化したとわかるのがほんの少ししかないため、私は長い間、「ウルトラセブンは第1話では等身大のままだった」と思い込んでいました。なおクール星人は着ぐるみではなくて操演で釣られた宇宙人でした。なのでウルトラセブンとの戦いを表現するのが難しかったのかもしれません。

この第1話は「ウルトラセブン」が「ウルトラマン」ほどの視聴率を当時得られなかった理由の一端を物語っているように思います。私もそうでしたが、本放送当時の子供達が望んでいたのは「ウルトラマン」のような、着ぐるみの巨大怪獣とウルトラマンが戦う話でした。なのに「ウルトラセブン」は後述する理由もあって本放送当時の子供達が観たかったものとはズレた作品になってしまい、後に視聴率低下を招き苦しむことになります。

さてウルトラセブンの演出陣を観てみましょう。第1クールに参加したのは制作順で書くと野長瀬三摩地、満田かずほ、円谷一、鈴木俊継、実相寺昭雄の5人。東宝から参加した野長瀬とTBSから参加した円谷一実相寺昭雄円谷プロの社員だった満田と鈴木俊継という内訳になっています。「ウルトラマン」でTBS映画部から参加した飯島敏宏と樋口裕三は参加していませんでした。樋口は映画部から編成に異動したので企画では「ウルトラセブン」には参加していましたが、飯島敏宏は別の番組に参加していたことも理由に挙げられますが、円谷プロ側の事情も透けて見えます。白石雅彦著「ウルトラセブンの帰還」で満田かずほはこう証言しています。

満田  円谷英二社長としては、「ウルトラセブン」はできるだけ身内で回したかったらしいんですよ。その頃は、私も鈴木俊継さんも監督になっていたし。ですから私達の担当回が多いんです。二人とも十四本撮っているんですが、私は二本前後編が入っているでしょう。だからエピソードでは鈴木さんの方が多い。会社としては、どうせ給料を払うならなるべく多くやらせた方がいいだろうって考え方じゃないかな? あとはわずかに監督手当を出せばいいんだから(笑)

第2クールでは実相寺昭雄は京都で制作された「風」という時代劇の制作に飯島敏宏とともに参加するため、「ウルトラセブン」を一時離れます。また野長瀬も後述する通り、「マイティジャック」の制作に映ったため、「ウルトラセブン」の制作から一時離れます。そのため、第2クールは円谷一以外は満田と鈴木が演出した話が多くなったのです。これも「ウルトラセブン」の制作費を抑えようとした円谷プロの意図を感じてしまう話です。ですが、この制作費を抑える施策は成功だったとは言いがたく、後述する通り、視聴率低下の要因ともなりました。

第9話「アンドロイド0指令」

上原正三の初参加は11月26日放送の第9話「アンドロイド指令」(脚本:上原正三、監督:満田かずほ、特殊技術:的場徹)でした。制作順は第11話です。ここまで遅くなった理由は「快獣ブースカ」の制作がまだ続いていたからです。白石雅彦著「ウルトラセブンの帰還」で上原は「快獣ブースカ」制作当時を振り返って、こう証言しています。

上原 脚本の発注から直しまで、「ウルトラQ」や「ウルトラセブン」で金城がやっていたことを僕が引き受けていたわけです。というのも金城は「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の方が忙しいでしょう。そっちは会社のメインの作品で、「快獣ブースカ」は言ってしまえばB級扱いですから、僕なんかに仕事が回ってきたんだろうね。

ところが金城哲夫が手がけた作品と比べて潤沢な状況ではなかったようです。同著では続けてこういう証言が載っています。

上原 満田や鈴木(俊継)、それに僕なんかは若手だからね、会社は「金をかけるな」って言って来るわけですよ。この頃は累積赤字がかなりあったからね。ですから「アンドロイド0指令」も"予算のかからないものを書け"と言われた覚えがありますよ。僕なんかひねくれ者だから、だったらこういう手があるじゃないか、ってやっちゃうんだよね。

なので、なんと「アンドロイド0指令」は1班体制で制作された作品でした。流石に同時制作の「魔の山へ飛べ」(脚本は金城哲夫)は2班体制に戻っていますが。

大筋は、宇宙からやってきたチブル星人がアンドロイド少女ゼロワン(演じたのは小林夕岐子)を操って モロボシダンことウルトラセブンの暗殺を図り、同時に子供達におもちゃに見せかけた武器を配って洗脳し、侵略を進めようというものです。クライマックスはダンとソガがデパート(ロケ地は松屋デパート)のおもちゃ売り場で戦闘機や戦車の攻撃を受ける場面です。なのでわざわざ2班を組んで行なう必要がなかったため、1班体制だったというわけです。的場徹と戦闘機や戦車を操演するスタッフを特撮班から回してもらって撮影がなされました。この場面は非常に迫力があり、ダンとソガは絶体絶命のピンチに陥ります。ただダンがウルトラセブンに変身した後はチブル星人があっさり倒されてしまい、少々呆気なかった結末でした。

第17話「地底GO! GO! GO!」

次に上原が書いたのが第17話「地底GO! GO! GO!」(脚本:上原正三、監督:円谷一、特殊技術:大木淳)です。監督が円谷一ということからもわかる通り、この話も円谷一主導で行なわれました。この話ではモロボシダンのモデルとなった青年薩摩次郎が登場します。この話では、山登りの最中、滑落した薩摩次郎が仲間の命を救うために自らザイルを切って200メートルの谷底へ落ちていったのに生き残ったという逸話が語られています。実は次郎はウルトラセブンに救出されており、次郎の行為に感動したセブンは彼の姿と魂をモデルにモロボシダンにしたのです。この話を作ろうと言い出したのは円谷一だと上原は証言しています。金城も交えた3人(金城は同時制作された「空間X脱出」を執筆)で議論して決めたようです。この話では地底都市の守りにロボットが複数体出現しますが、作られた着ぐるみは一体だけで胸のマークを変えて複数体だと表現するという手法も円谷一の発案です。ただ「薩摩次郎」という名は上原の発案です。「ウルトラQ」と「ウルトラマン」でプロデューサーを務めた栫井巍が鹿児島出身だったため、それにちなんでつけたのです。

金城哲夫の代役として

第2クール途中から、上原正三は「ウルトラセブン」の制作に関わることが多くなります。それはフジテレビから特撮ドラマ「マイティジャック」制作が発注され、金城哲夫はそちらに注力せざるを得なくなったからです。よってそれまで金城が行なっていた「ウルトラセブン」の脚本の発注やなおしは金城から上原に代わりました。同時に上原は脚本も多数書くことになります。映像化された話を並べてみましょう。

この中で第34話と第43話には怪獣も宇宙人も登場しません。また第46話で登場するのはニセウルトラセブンカプセル怪獣アギラのみで、ありものを流用した話になっています。こうなった理由は制作費を抑えるためでした。先述した通り、累積債務は溜まる一方。円谷プロとしてはできる限り制作費を抑えたかったのです。ましてやこの時期はフジテレビで「マイティジャック」が放送されており、初の大人向けドラマということで会社がそちらに力を入れていたのも間違いない事実です。そのため、段々と怪獣が暴れる話よりも人間ドラマやSFドラマに重きを置いた話が増えていきました。

ですが、この施策は視聴率低下という形で見事に裏目に出ます。本放送当時の子供達が観たかったのは「ウルトラマン」のような巨大怪獣とヒーローとの戦いでした。視聴率は「ウルトラセブン」第24話「北へ還れ!」(脚本:市川森一、監督:満田かずほ 、特殊技術:高野宏一)の30.1%を最後に低下を続け、第30話「栄光は誰れのために」(脚本:藤川桂介、監督:鈴木俊継 、特殊技術:的場徹)では22.1%まで下がってしまいます。いったん持ち直したものの、視聴率低下は止まらず第36話「必殺の0.1秒」(脚本:山浦弘靖、監督:野長瀬三摩地、特殊技術:高野宏一)で16.8%を記録。これはシリーズ最低です。以後は10%台後半が定位置となってしまいます。「北へ還れ!」はカプセル怪獣ウインダムがカナン星人に操られてウルトラセブンと戦ったり、フルハシと母との交流を重視した作劇になっていますが、脚本を書いた市川自身はこういったやり方を「貧すればドンす」と酷評しています。「栄光は誰れのために」と「必殺の0.1秒」はいずれも地球防衛軍の隊員がウルトラ警備隊の隊員を敵視または妬むというのが話の主題でした。再放送で大人になった人からは見応えがあると評価された話もありますが、当時の子供達には難しすぎてわかりにくかったのが正直なところでしょう。

もちろん、TBSは手をこまねいていたわけではありません。TBSのプロデューサー三輪俊道は、かつて「ウルトラマン」を演出した飯島敏宏と実相寺昭雄の再登板を要請し、実現させています。飯島が演出したのは第38話「勇気ある戦い」(脚本:佐々木守、特殊技術:高野宏一)、第39話「セブン暗殺計画 前篇」第40話「セブン暗殺計画 後編」(脚本:藤川桂介、特殊技術:高野宏一)の3本。実相寺は先述の第43話と第45話を演出すると同時に脚本も書いています。川崎高というのは実相寺のペンネームなのでした。ですが、時期は遅すぎました。「風」の制作があったという事情があったので仕方がありませんが、第2クール前半辺りで飯島や実相寺が参加していれば、風向きは変わったかもしれません。

幻の脚本その1「300年間の復讐」

さて話を少し前に戻します。第23話「明日を捜せ」と同時期に制作予定で上原が書いた脚本が存在します。それが「300年間の復讐」です。これはなぜか映像化されず、1993年に市川森一が書いたドラマ「私が愛したウルトラセブン」で一部分だけが引用という形で映像化されます。その内容は、300年前に地球に流れ着いたトーク星人は髪の毛が赤いというだけの理由で妹のシシーを殺され、その後、ずっと人間に復讐されるための武器を作り続けていたという話です。この話はアンヌが主役で殺されたシシーに似ているため、トーク星人はアンヌに妹の面影を観るというのも見どころです。人種差別がテーマですが、上原は明らかに琉球が薩摩や本土の支配に置かれていたことを裏テーマに持ってきています。それを市川森一も汲み取っていたのか、「私が愛したウルトラセブン」では「薩摩への琉球の復讐」というテーマを財津一郎演じる三国プロデューサー(「コメットさん」も担当していたということから橋本洋二がモデルではないかとも言われています)が問題視したのが未映像化の理由だと描かれています。ですが、実際はそうではなかったようです。まず白石雅彦著「ウルトラセブンの帰還」での上原の証言です。

上原 これは野長瀬さんが結構やりたがっていたんだよ。制作中止となったからといって、他の監督には渡さなかったよね。ただ、実相寺さんに見せたら「フン」って言われたんだね。僕には面と向かって言わなかったけれども「弱い民族だな」っていっていたことは聞いた。「こんな弱い民族がやられるのは当たり前だ」ってね。

先述したとおり、「300年間の復讐」は第23話「明日を捜せ」と同時制作の予定でした。この直後、野長瀬は「マイティジャック」の制作第1話の演出に駆り出されます。白石雅彦さんは「ウルトラセブンの帰還」で、その結果、当初2本制作の予定が1本になり、南川竜こと野長瀬が脚本を書いた「明日を捜せ」が優先されてしまったため、「300年間の復讐」が制作中止となった、と推測しています。私もこの説を支持します。

幻の脚本その2「宇宙人15+怪獣35」

さて幻の脚本は他にもあります。最後にそれを紹介しましょう。それは「宇宙人15+怪獣35」という題名で脚本の名義は川崎高と上原正三の共作です。川崎高というのは実相寺昭雄ペンネーム。文字通り、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」に登場した宇宙人や怪獣が生き返り、地球を襲うという話です。冒頭、満月の夜にバルタン星人を追跡してきたセブンはケロニア、ギガス、ギャンゴ、キーラ、ウー、メフィラス星人に取り囲まれてしまいます。なんとかバルタン星人以外の宇宙人や怪獣を倒すことにセブンは成功しますが、重傷を負って倒れてしまいます。ダンはメディカルセンターに運ばれ、その間に東京は怪獣王国になってしまいました。その時、ピグモンも復活し、地球防衛軍に謎の宇宙人が復活させたと話したり、怪獣達の闘争本能を刺激すべきだという作戦を発案したります。作戦は実行に移され、興奮剤の影響で興奮した結果、怪獣軍団は自滅しますが、それでもレッドキングペギラジェロニモンネロンガエレキングが生き残ってしまいます。そこでウルトラセブンカプセル怪獣ウインダムとアギラとともに登場。ですが、カプセル怪獣は怪獣軍団には敵わず、セブンも重傷が癒えていなかったため、エネルギーを消耗して倒れてしまいました。とその時、宇宙の彼方から黄金に輝くゴードが登場。ゴードは5大怪獣を一蹴して倒し、また大空の彼方へ飛び去ったのでした。なお、この脚本ではガッツ星人に倒されたウインダムが登場していますが、当初、ガッツ星人に倒されるのはミクラスだったというのがウインダム登場の理由だったようです。

これは上原によれば実相寺昭雄が「どうも現場がチマチマした感じだから、お祭りみたいなものを作ろう。いっそのこと、怪獣倉庫にあるやつを全部出したらどうだ?」と言ったことがきっかけで始まったそうです。とはいうものの実質的には上原独りで書いています。ですが、制作部から、(スーツアクターの)人件費がかかるし第一倉庫にそんなに使える着ぐるみは残っていない、と待ったがかけられ、未映像化に終わりました。代わりに制作されたのが上原正三がほぼ単独で書いた「第四惑星の悪夢」や実相寺昭雄がほぼ単独で書いた「円盤が来た」と言った作品でした。「第四惑星の悪夢」では着ぐるみは一切登場しませんし、「円盤が来た」にはペロリンガ星人は登場するものの戦う場面が少し挿入されただけ。両作とも異色作としてファンに知られていますが、これが制作された背景には「宇宙人15+怪獣35」の未映像化というのがあったのでした。

 

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ウルトラマン・快獣ブースカ -金城哲夫の助手として- -上原正三 Advent Calendar 2020 3日目-

はじめに

これまで上原正三が「ウルトラQ」で全国デビューを果たすまでの足跡を書いてきました。今回は円谷プロに入った上原正三金城哲夫の助手として活躍した「ウルトラマン」と「快獣ブースカ」について取り上げます。

ウルトラマン

未映像化作品

ウルトラマン」は「ウルトラQ」のヒットを受けて企画された番組で「ウルトラQ」の放送後、後番組としてTBS系列で放送されました。制作に入るに当たって何本か脚本が執筆されました。未映像化に終わりましたが、この時期、上原は「宇宙基地救助命令」と「怪獣用心棒」の2本を書いています。未映像化に終わった理由は定かではありませんが、前者は宇宙ステーションを金星大怪鳥ガースが襲うという話のため予算の問題(宇宙ステーションのセットとミニチュア、宇宙船のセットとミニチュア、金星大怪鳥ガースのとび人形、着ぐるみに合わせた宇宙ステーションのミニセットが少なくとも必要)が考えられますし、後者は怪獣ゴルダーを操る秘密結社サン・ダストの野望と壊滅も描くだけの時間が30分では短すぎるという問題が考えられます。特に予算の問題は重要です。特撮作品は製作費がかかりますが、「ウルトラQ」制作時、円谷英二は映像の出来に満足が行かない時は何度も撮り直し、作品の品質向上を優先させたため、必然的に制作費が増加して赤字となっていました。さらに「ウルトラQ」は白黒作品かつ全作品完成後に放送が開始されましたが、「ウルトラマン」ではカラー作品になり、制作しながら放送を継続していくというやり方に変わりました。そのため、予算と制作日数を抑えることが制作時の重要な課題となったのです。

怪獣無法地帯

さて上原正三が「ウルトラマン」で書いた脚本で初めて映像化されたのが第8話「怪獣無法地帯」(脚本:金城哲夫上原正三、監督:円谷一特技監督:高野宏一)です。これは円谷一が「怪獣をたくさん出そう」と発想して製作されたものです。怪獣はレッドキング、チャンドラー、マグラー、ピグモン、そしてスフランの5種類が登場しますが、新規に着ぐるみとして造形されたのはレッドキングのみ。チャンドラーは「ウルトラQ」のペギラの改造、マグラーは元は東宝の映画(当然、特技監督円谷英二)「フランケンシュタイン対地底怪獣」に登場したバラゴンのぬいぐるみで、初めは「ウルトラQ」のパゴスに改造され、その後、「ウルトラマン」のネロンガに改造された後、マグラーになりました。実はこの後、ガボラに改造された後、東宝に返され、映画「怪獣総進撃」でバラゴンに戻されて登場するという変遷を辿ります。ピグモンは「ウルトラQ」のガラモンの改造で、演者が変更になったため、首回りが改造されました。そしてスフランは植物のツルなのでさほど制作費はかからなかったのでしょう。なおスフランは後に「怪獣殿下」の前編で再登場していますが、この時も円谷一金城哲夫が制作に関わっています(ただし脚本は若槻文三金城哲夫の共作)。こういう構成になったのは円谷一の発想が元です。おそらく多々良島という孤島が舞台になったのも、ゲストが実質的に測候所の生き残り松井所員(演者は松本朝夫)のみなのも、予算の関係でしょう。上原によれば第一稿を上原が書き、第二稿は金城哲夫が手を加えたそうです。ただし変更点はさほどありません。ですが、白石雅彦著「ウルトラマンの飛翔」によれば、当時金城哲夫上原正三が交代で書いた「文芸部・日誌」には、その時の記録が載っているそうです。日誌によれば、「怪獣無法地帯」の第1稿は4月7日に書き始められ、締め切りは4月9日。そして金城哲夫は1966年4月12日から18日まで旅館はなぶさに籠り、「怪獣無法地帯」と「宇宙から来た暴れん坊」の直しを行なったり企画書などを執筆していました。「怪獣無法地帯」の直しには上原も加わったようです。「怪獣無法地帯」の準備稿が印刷されたのは4月19日。その後、さらに上原が手を入れた改訂稿は5月2日に印刷されています。なお放送日は9月4日でした。

余談ですが、ウルトラマンウルトラQは予算削減のためか既存の着ぐるみを改造して使いまわす話が多いです。この時に新規造形されたレッドキングは「怪彗星ツイフォン」で再登場しますが、よく見ると頭部、特に目のあたりが「怪獣無法地帯」とは違っています。それはレッドキングが一度、頭部をすげ替えられたりして「悪魔はふたたび」に登場するアボラスに改造された後、再登場したからです。

宇宙船救助命令

次に上原が「ウルトラマン」で書いたのは第38話「宇宙船救助命令」です。ここまで執筆が先になったのは後述するように「快獣ブースカ」が制作されていたからです。この話も監督は円谷一でした。ただし特殊技術は円谷英二東宝での部下にあたる有川貞昌が担当しています。もっとも、上原が脚本を書く直前、金城哲夫によるハコ書き(脚本の設計書にあたるものでプロットよりは精密に、シーンナンバー通りに書き、場合によってはセリフも書き込まれる)が存在し、これを引き継いで上原が完成させたようです。その筋立ては未映像化に終わった「宇宙基地救助命令」に似たもので、Q星に生存する宇宙怪獣キーラの影響で危機に陥った宇宙ステーションV2を科学特捜隊が救うというのが大まかな筋立てです。登場する怪獣はキーラの他にもう一体、サイゴが登場します。「ウルトラマンの飛翔」の中で著者の白石雅彦は「次企画へのプロモーションのように見えて仕方がなかった」と書いており、実際に上原に質問しています。なぜそう思ったのかといえば、「宇宙基地救助命令」でも述べた通り、明らかに予算がかかるからです。で上原の答えは

上原 それは確かにあったよ。一さんとしては、円谷プロでも宇宙ものや、メカニックものをできるということを証明したかったんだね。

この上原の証言でも明らかなように、やはり円谷一主導で「宇宙船救助命令」は制作されたのです。当時、イギリスでは「サンダーバード」が制作されていました。日本ではNHKが1966年4月10日から放送を開始しています。「宇宙船救助命令」は1966年4月2日放送でした。また「ウルトラマン」の後継作にあたる「ウルトラセブン」の企画はすでに始まっていました。当然、円谷一はそれを意識していたはずです。さて円谷一の意図はもう一つありました。それは第二の「怪獣無法地帯」を作ることです。ですが、白石も述べていますが、それは成功したとは言い難いです。というのはやはり予算がかかるため、サイゴ の造形に一度待ったがかかったりし、結果、サイゴの造形はキーラと比べると粗い感じになっています。なおQ星での様子は浅間山のそばにある鬼押し出しで撮影されています。明らかに昼間に撮影されていますが、フィルターをかけて宇宙の星のような感じを表現していました。

快獣ブースカ

さて話を少し昔に戻しましょう。「ウルトラマン」の制作が始まってしばらく経った頃、円谷プロが制作した特撮作品としては3作目となる「快獣ブースカ」の制作が始まりました。屯田大作少年が飼っているイグアナが大作少年の発明した餌によって等身大に巨大化できるようになり誕生したのがブースカで、大作少年やブースカが繰り広げる珍騒動を描いたものです。日本テレビで放送され、予告ナレーションを担当したのは当時日本テレビのアナウンサーだった福留功男でした。なお日本テレビ側のプロデューサーは後に「太陽にほえろ!」などをプロデュースする岡田晋吉でした。岡田は自著でさほど人気はなかったようなことを書いていますが、実際はそうではなく、半年の放送予定だったのが延長され、第26話からブースカの弟快獣チャメゴンが登場し、最終的には47話が放送されました。

ウルトラマン」で金城哲夫が脚本のなおしを行なっていたことに少し触れましたが、上原は「快獣ブースカ」で脚本のなおしや発注を担当していました。「快獣ブースカ」でデビューした市川森一は、講談社ウルトラマン大全集II」に載っている、上原と橋本洋二を交えた対談で当時を振り返り、

ブースカ」は上さん、「ウルトラマン」は金城さんと完全に分業みたくやってましたね。

と述べています。脚本のなおしだけではなく上原は「快獣ブースカ」脚本も担当しています。クレジットされているのは共作を含めると12本。そのうち上原単独の名義になっているのは4本です。残りの8本は純粋に共作しただけではなく、他の人が書いたのをなおしているうちに自分の担当分が増えたためにクレジットされたものなのかもしれません。

さて先ほど「快獣ブースカ」で市川森一がデビューしたと書きましたが、実は長坂秀佳も「快獣ブースカ」の制作開始という話を聞きつけて円谷プロに参加したいと言ってきていました。ですが、当時、長坂秀佳東宝の社員でしたが、市川森一はフリーの脚本家でした。その結果、収入のある長坂秀佳ではなく、市川森一が第4話「ブースカ月へ行く」でデビューを飾ることになりました。後に長坂は市川をほぼ一方的にライバル視しますが、その遠因にはこの騒動があったのでした。

市川森一が「快獣ブースカ」で書いた脚本は共作も含めて16本。実に3分の1近くの脚本を書いています。単独名義のものは11本。この当時から「夢見る力」を強調した作風は全開でデビュー作の「ブースカ月へ行く」はかぐや姫の話を知ったブースカが月へ行ってかぐや姫に会いたいと夢見るようになり、見かねた大作達がブースカを「月」へ行かせた果てにブースカが本当にかぐや姫(実際は自分が夢見たかぐや姫とそっくりな人)と会ってしまうという話です。上述の対談で上原は市川がブースカで書いたプロットを評して

彼はさっきプロットを落とされたと言ってましたけど、どれも歯切れが良かったんですよ。市川森一のプロットにはみずみずしい感性が横溢していましたね。

と多少ヨイショも込めて述べています。

 

なお上原と市川の共作は3本あります。最終回「さようならブースカ」もそうです。最終回を発想したのは市川だったようで、大作とブースカ&チャメゴンとの別れを描いています。ブースカとチャメゴンは地球を救うために宇宙へと旅立ちますが、そのためのロケットの開発の段階で、相対性理論により、ブースカとチャメゴンにとっては20分程度の行程で進む宇宙探検旅行が大作達にとっては20年もの歳月を経るものであることが明らかになってしまいます。大作はブースカとチャメゴンにはそのことを伏せたまま、 彼らを宇宙へ送り出します。大作はブースカが帰ってくるまで地球を立派にすると誓って別れるのです。このような話にした理由として市川森一は、夢はいつかは醒めるものなので敢えてハッピーエンドにはしなかった、というようなことを挙げています。市川はさらに踏み込み、このような夢を見させた責任は書き手である自分達にあるというようなことまでのべています。私は「ウルトラマンA」でのゴルゴダ星の話やジャンボキングの話でウルトラシリーズの否定に繋がるような話を書いた理由にも繋がるのではないかなあ、と個人的には思います。

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ウルトラQ -上原正三 Advent Calendar 2020 2日目-

はじめに

この記事では上原正三が全国デビューを飾った番組、「ウルトラQ」について取り上げます。

ウルトラQサンプルストーリー集

上原が参加した頃の円谷プロは「ウルトラQ」を制作していました。当初は「UNBALANCE」という題名で本格的なSFを志向した作りになっていました。上原が金城哲夫と出会った1963年頃、円谷プロでは英二の次男円谷皐が働くフジテレビとは「WoO」という番組の企画が進行し、一が働くTBSとは「UNBALANCE」という番組の企画が進行していました。これに気を良くしたのか、英二は光学合成に使用するオプチカル・プリンタの最新機種、オクスベリー社の1200シリーズを発注してしまいました。ところがこれは当時の値段で4千万円もしました。手付金の500万円はなんとか工面できたものの、当時の円谷プロは残金を支払う余裕などありませんでした。何しろ、この当時は番組制作の実績などなかったからです。窮した英二は息子達に相談。最終的には一の奔走でTBS編制局長の大森直道が動き、TBSが英二の代わりにオクスベリー1200を購入することになりました。そして、そんな高額な機械を死蔵するのはもったいないと、「UNBALANCE」の制作が決まったのです。

とはいうものの、当初、円谷一は「UNBALANCE」の制作に乗り気ではありませんでした。既にテレビドラマの世界を歩んでいた一は父英二と比べられるのが嫌だったらしいのです。ですが、円谷プロに在籍していた熊谷健が小山内美恵子に発注して書かれた脚本「あけてくれ!」のプロットを読んだ一は態度が変わり、「ああ、これだったらいいなあ」と言ったそうです。「あけてくれ!」は現実世界から逃避したいと願う男が異次元へ行って過ごす話でした。当然、怪獣は登場しません。これなら父と比べられることはない。そう、一は思ったのでしょう。ですが、制作が進むにつれ、TBS側プロデューサー栫井巍は視聴者には難解な話が続くことを危惧し、怪獣路線への転換を要望します。そして番組の名前も「ウルトラQ」に変わったのです。

上原が円谷プロに参加した頃、「ウルトラQ」の制作は2クール目に入っていました。先述した事情でSFから怪獣ものへと路線転換が決まった結果、円谷プロでは「ウルトラQ」のサンプルストーリーを作ることになりました。まず上原が行なった仕事はそのお手伝いでした。白石雅彦著「ウルトラQ誕生」での上原の証言を引用しましょう。

上原  昔、祖師ヶ谷大蔵にはなぶさという旅館があってね、そこに籠もって書いたんですよ。夜は大体、祖師谷商店街の高橋で焼き鳥だね(笑)。みんなで色んなことを喋りながらストーリーを考えてそれぞれが書く。まとめは金城が書くみたいでやりましたね。でもそもそもサンプルストーリーを書くと言ってもね、僕は怪獣ものなんか書くつもりは全くなかったからね、だから無理矢理ですよ。「ミミモンズ撃滅作戦」ってあったでしょう。あれは僕が書いたんですが、ああいうでかい怪物が暴れるというのは好きですね。ただ、制作部がびびっちゃってね、予算がかかりすぎると(笑)

とまあ不本意な仕事ではあったようですが、こうして上原の仕事が始まりました。

まぼろしの全国デビュー作「OiL S.O.S.」

そんな上原も「ウルトラQ」の脚本を書くことになりました。それには、次のような事情があったようです。沖縄タイムスの記事「ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー 」では次のように話しています。

―当時、TBSのエース監督だった円谷一氏は「収骨」をどう評価したのか。

 「円谷プロで再会した一さんは、受賞は喜んでくれたけど『沖縄はタブーだ。政治なんだよ。テレビでは絶対にできないぞ』って…。TBSのドラマは他局より秀でていたが、反戦の名作『私は貝になりたい』などは右翼に攻撃されてね。テレビ局は、政治的なテーマにピリピリしていた。代わりに、一さんは僕に『ウルトラQ』を書けと勧めてくれた」

 「で、書いたのが『オイルSOS』。ヘドロから生まれた怪獣が、石油タンクに吸い付いて巨大化するという話。沖縄戦がだめなら、水俣病をテーマにやってみようとした。一さんのゴーサインが出てね。石油会社を訪ねたら『どうぞロケでお使いください』と言う。あの高い石油タンクの上から景色を眺めると、天下を取った気分になったよ。沖縄は無理でも、公害問題を告発できると喜んだ」

こうして上原は「OiL S.O.S.」を書きました。もちろん演出するのは円谷一の予定でした。白石雅彦著「ウルトラQ誕生」での上原の証言を引用しましょう。

上原 芸術祭で大賞をとった監督がね、僕みたいな新人の脚本を撮るというのは、大変なことなんだよね。円谷一さんにしても、二年前に「賞を取ってこい」と言った手前、なにかやらなきゃ男が立たないということだったんだ。だから脚本が通ったときは、天下を取れたんだけど、結局断られてしまった。というのも、”我が社の廃液が元で怪獣が出ている”という誤解があったからなんだ。

残念ながら、上原の書いた「OiL S.O.S.」が映像化されることは成りませんでした。上原の証言にある通り、ロケ先に予定されていた会社が断ったからです。「OiL S.O.S.」に登場予定の怪獣は既に製作済みでした。また一説にはキャスティングも済んでいたようです。

さて白石雅彦著「ウルトラQ誕生」によれば「OiL S.O.S.」には準備稿と決定稿が存在します。そしてその改訂稿「東京SOS」が存在します。ウルトラQ誕生」ではそれぞれのタイトル前のナレーションを紹介しています。

まず準備稿は

N「…海が埋め立てられて、石油製油所が立ちました。製油所から廃液が海に流れ込んで、海が死んだのです。今夜は、死の海に誕生したクラプトンの物語です」

次に決定稿ではこう変更されています。

N「…海が埋め立てられて、石油化学工場のコンビナートが立ちました。あらゆる工場の廃液が海に流れ込んで、生物が住まなくなってしまったのです。今夜は、死の海に誕生したクラプトンの物語です」

準備稿では石油製油所の廃液によって怪獣クラプトンが誕生したとされていたのが、責任の所在が曖昧にされています。そして「東京SOS」ではさらに手が入り、こうなりました。

N「…海にはさまざまな生物が住んでいます。私達がまだ一度も見た事がない生物がきつといるにちがいありません。今夜は新しく海に誕生したクラプトンの物語です」

もはや廃液問題は入っていません。このような改稿から見えてくることは、円谷プロはギリギリの段階まで「OiL S.O.S.」映像化の道を探っていた、ということです。白石雅彦著「ウルトラQ誕生」ではエンディングの改稿についても触れていますが、長くなったので、ここでは割愛します。結局、円谷一はこの後、ガラモンが登場する「ガラダマ」を演出することになったのでした。なお当初の予定は二本持ちでしたが、結局撮影したのは「ガラダマ」一本でした。これには後述する事情が絡んでいました。

全国デビュー作「宇宙指令M774」

さて「ウルトラQ」ではもう一つ動きがありました。助監督として参加していた満田かずほが監督に昇進することになったのです。満田は元々はTBSで円谷一のADを務めていました。円谷プロにはその縁で入り、「ウルトラQ」の助監督を務めていたのです。白石雅彦著「ウルトラQ誕生」での満田の証言を引用します。

満田  「ガラダマ」のロケのときにね、栫井さんがいらっしゃったんですよ。それで「僕にちょっと話があるから」と旅館の部屋に呼ばれたんです。それで栫井さんの部屋で「まあ、一杯いこう」と日本酒を飲みながら、「実はな、ツブ(円谷一)は、新しいシリーズ、それも海外との合作のものがあるから、TBSに引き上げる。それでこっちはシナリオが一本できているんだけど、これを現在いる監督にお願いしたい、とは言いにくい」とおっしゃるんですよ。現在いる監督は中川(晴之助)さんだったり野長瀬(三地)さんですからね。それで「お前、ツブの弟子みたいみたいなものだから、あとを継いでやりなさい」と。つまり僕に監督をやれ、ということだったんですね。

なお満田は二本持ちで監督デビューすることになりました。一本は千束北男(TBS映画部所属だった飯島敏宏のペンネーム)が書いた「燃えろ栄光」で、もう一本が上原正三が書いた「宇宙指令M774」でした。これは「OiL S.O.S.」のために作った作り物(クラプトンというエイのような怪獣)が既にできていたため、それを活用するために書かれた話です。とはいうものの精魂込めて書いた「OiL S.O.S.」が流れたからか、あまり乗り気ではなかったようで、上原も満田も、満田主導で脚本が書かれたことを認めています。キール星人操る怪獣ボスタングの出現を女性のルパーツ星人ゼミがやってきて警告するというのは満田の発案だったのです。

 

とはいうものの、上原は自らの戦争体験を作中に忍ばせています。ボスタングを攻撃するのは海上保安庁の巡視船でしたが、その攻撃の様子は幼い頃の上原が那覇に上陸できずに鹿児島まで漂流した体験を元に記述しています。

 

この記事では上原正三の全国デビューの流れを描きました。上原が脚本を担当した「ウルトラQ」の話にはもう一本「ゴーガの象」がありますが、これが世に出るまでも紆余曲折がありました。残念ながら、ここで扱うには長すぎる内容になってしまいますが、この話は元々は「OiL S.O.S.」のような社会派の話ではなく、当初はファンタジー溢れる「化石の城」という話でした。上原は後に「秘密戦隊ゴレンジャー」や「がんばれ!!ロボコン」そして「電子戦隊デンジマン」などで緩急自在の作風を見せることになりますが、その兆しは「ウルトラQ」の頃に既に表れていたのでした。

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円谷プロへ -上原正三 Advent Calendar 2020 1日目-

はじめに

2020年1月2日、一人の脚本家が亡くなりました。その脚本家の名前は上原正三。1937年2月6日生まれ。沖縄県那覇市出身。私の父は1938年11月生まれですので彼は父より1年年上、2学年上ということになります。残念ながら上原正三さんとお会いしたことはございませんが、彼が脚本を書いた作品を観て私は育ちました。多作な人でしたが、途中何度か誘いはあったものの、子供向けの作品ばかり書いていました。そしてどの作品も一本芯が通っていました。今年はそれを振り返るべく、Advent Calendarを立ち上げました。今回は彼が全国デビューを飾ることになる円谷プロに入るまでを取り上げます。

沖縄での幼少期、上京そして挫折

上原正三は警察官の息子として誕生しました。1944年9月、太平洋戦争の激化により、彼は家族とともに台湾へ一時疎開することになりました。上原の父親は警察署の署長を務めていたため、沖縄に残り、その他の家族だけが疎開しました。あくまでも一時疎開の予定でしたが、台湾から那覇へ戻るための船に乗った後、1944年10月10日、米軍が那覇など南西諸島各地を空襲したことにより、那覇への帰還は不能になりました。上原が乗った船は海上を漂流することになり、途中、米軍の潜水艦に襲われかかり文字通り死にそうな目に遭います。しかし2週間の漂流後、船はなんとか鹿児島に漂着。九死に一生を得ました。鹿児島に上陸後、上原正三一家は熊本へ移り終戦を迎えました。

 

1946年に上原一家は沖縄に戻り、上原は沖縄で育ちます。そして琉球政府那覇高等学校に進学しました。ここで「琉球政府」という言葉が出てきましたが、終戦後の沖縄は日本の統治からは切り離されてアメリカの信託統治下にありました。そのため、「琉球政府」が沖縄を治めていたのです。高校生の頃は映画「シェーン」に夢中だったそうで、これが後に脚本家になるきっかけになったようです。

 

高校卒業後、上原は中央大学文学部に進学し、上京します。上述した通り、当時の沖縄は日本政府ではなく琉球政府の統治下です。ですから、彼はパスポートを持って日本に入国しました。東京では下宿先を決めるのに苦労するなど、琉球人に対する差別を否応なく受けることになりましたが、この体験もまた上原正三の作風に影響を与えています。大学時代からアマチュアで脚本を執筆し、沖縄戦や米軍基地をテーマにして脚本を書いていました。東京には親戚がいたそうですが、上原はその件について、沖縄タイムスの記事「ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー」ではこう語っています。

―55年当時、本土での沖縄差別は露骨だった。

 「高1の時、東京で暮らす親戚が『九州出身』にしていると知った。しかも本籍まで東京に移してさ。これは突き詰める必要があると。『俺は琉球人だ』との気概で東京に乗り込むと、親戚は歓迎してくれない。キャンディーやチョコ、リプトンの紅茶など、基地でしか手に入らない土産を嫌がったな。その後、僕も部屋を貸してもらえなかった。これが『琉球人お断り』かと知った」

 ―それでも、ひるまなかった。

 「『ウチナーンチュを標榜(ひょうぼう)して、ヤマトゥ(本土)で生きる』が僕のテーマ。沖縄を差別するヤマトゥンチュとはどんな人種なのか、俺の目で見てやる。そんな青臭い正義感を抱いて、60年がたつ」

 

こうして上原は東京で暮らしていたわけですが、大学卒業後、肺結核にかかってしまいました。そのため、大学卒業後は脚本家になることを諦めて帰郷を余儀なくされました。そのため、彼はしばらく親から小遣いをもらいながらブラブラするという生活を余儀なくされました。後に円谷プロで出会う盟友市川森一が1993年に書いたドラマ「私が愛したウルトラセブン」では上原正三が「ウルトラセブン」放送中に肺結核のため喀血して療養する様子が描かれていますが、その場面は上原のこの時代を踏まえて描いたものなのでしょう。もっとも、後の稿で書く通り、「ウルトラセブン」制作時は療養などしておらず、ドラマの描写は(事実を基にしてはいますが)フィクションです。

金城哲夫との出会い

こうして実家でブラブラしていた上原に転機が訪れます。以下は白石雅彦著「ウルトラQ誕生」の記述に基づいています。この本の第3部にはこの当時の上原の話が載っています。上原自身へのインタビューに基づく証言も載っています。

 

1963年の冬、25歳の時、金城哲夫という男と出会うのです。金城は1938年7月5日生まれで上原よりは1年年下、2学年下です。彼も沖縄にルーツを持つ男で、この時は生涯で最初で最後となる監督作品「吉屋チルー物語」という映画を撮影していました。上原の母親の茶飲み友達だったおばさんを通じて金城に上原の話が伝わったのです。金城は既に「絆」というドラマで全国デビューしていました。そして金城は「吉屋チルー物語」の編集に沖縄の実家で勤しんでいました。もっともこの時は会っただけ。上原自身はヌーベルバーグに傾倒していたので、今時なぜ沖縄の古典劇を作るのか、と違和感を覚えたそうです。同じく沖縄タイムスの記事「ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー」ではその時のことをこう語っています。

俺が沖縄の現実を映画で告発しようと考えている時、金城が作っていたのは遊女の悲恋物語。俺が琉球人として生きる決意した時、あいつは玉川学園で『金星人と握手する会』を作って活動していた。発想のスケールが大きすぎるんだよ

 

ですが、その年の夏、更に転機が訪れます。一旦東京に戻っていた金城が帰郷し、上原に速達を送ってきたのです。曰く、テレビ映画を作るので手伝って欲しい。それは「沖縄物語」という刑事ドラマで脚本は灘千造。金城は助監督を務めていました。金城は自分の仕事を手伝って欲しいと言って来たのです。金城の誘いは強力だったようで、最終的に上原はその話を引き受けることにしました。ただし、病み上がりなので初めは助監督ではなく制作進行としての参加でした。制作は沖縄で行われたようですが、上原曰く、本土から来たスタッフと沖縄のスタッフのやり方が違うのでうまく行きませんでした。そのため、最終的に上原は助監督も務めることになってしまいました。そして「沖縄物語」は3本制作されました。

 

円谷一との出会い

さて話はこれで終わりません。金城は更に「仕上げを東京でやるから一緒に行こう」と上原に言って来たのです。上原は当時を振り返りながら「金城の本音はね、円谷英二さんを紹介しようという腹があったと思うんだ。」と語っています。おそらくそうでしょう。まず金城は本多猪四郎が監督した映画「海底軍艦」の特撮を撮影中の円谷英二に引き合わせ、次に円谷英二の長男でTBSで活躍していた円谷一に上原を紹介します。円谷一は1962年の芸術祭で大賞をとったドラマ「煙の王様」を監督した直後で、自分が演出した作品でも金城哲夫を起用していました。なので上原を脚本家として使ってくれとの意図が金城にあったのは間違いないと私も思います。しかし、一の返事は「ウルトラQ誕生」での上原の証言によれば次のような感じでした。

上原  金城としては僕をなんとか脚本家にしようと、円谷一さんに引き合わせたわけだけど、世の中そう甘くないよね。金城と故郷が同じだけで、どこの馬の骨ともわからないものを脚本家にしてくれ、って言われても、「はい、どうぞ」とはいかないよ。だから一さんは「脚本家になる近道は賞を取ることだ。まずは賞を取れ」と言ったんですよ。まあ、厄介払いだね(笑)

一見、冷たい感じを受ける話かもしれませんが、一の立場になれば、そう言いたくなるのも無理はないでしょう。日頃から脚本家志望の人と出会うことも多かったのかもしれません。さて「ウルトラQ誕生」で書かれているのは、この件についてはここまでなのですが、私は金城哲夫の人の良さ、というより、純粋さも感じる逸話なのではないかなと思いました。

芸術祭奨励賞受賞、そして上京

 しかし、この言葉を聞いた上原は奮起しました。上原は沖縄戦をテーマに「収骨」という作品を描き上げます。沖縄戦で戦死した人の遺骨を探し集めるという話です。これは1964年の第19回芸術祭のテレビドラマ公募脚本部門で奨励賞を取りました。そして1965年初頭、上原は上京。円谷プロの門をくぐりました。金城哲夫は喜んで出迎え、上原はしばらく金城の仕事を手伝うことになりました。当時、金城は円谷プロの企画文芸室の室長。もっとも円谷プロは「ウルトラQ」の制作が始まったばかりで企画文芸室に在籍していたのは金城哲夫だけという状態でした。上原はしばらくは無給で手伝ったようですが、程なくして円谷プロの社員となりました。こうして上原正三は脚本家として第一歩を歩み始めたのでした。

 

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DNS温泉6にサッポロ クラシック ゴールデンカムイを持って行った話

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はじめに

この記事ではDNS温泉 Advent Calendar 2019 最終日にふさわしい内容をとりあげます。DNS温泉はDNSについて学ぶために温泉宿などに集まる勉強会です。DNSのコンテンツサーバを載せた仮想マシンOracle VM VirtualBox上に載せて動かせますし、温泉にも入れます。私は熱海、山中温泉下呂温泉五反田駅そば、そして永田町のLAC本社2階(余談ですが屋上には足湯があります)で開かれた時に参加しました。ですが、目玉はそれだけではありません。勉強会が始まると即座に講師が缶ビールをプシュッと開け、グビグビ飲み始めるのです。つまりもう一つの目玉はお酒です。今回は下呂温泉で開かれたDNS温泉6にお酒を持って行った話を書こうと思います。と言うわけで今回は技術的要素は皆無です。

サッポロ クラシック ゴールデンカムイ入酒

さて2019年夏にサッポロビールは北海道で次の商品を販売しました。

www.sapporobeer.jp

ところが私は埼玉県在住です。北海道までわざわざ買いに行くだけで数万円かかってしまいます。と言うわけで通販サイトを漁った結果、楽天市場で「サッポロ クラシック ゴールデンカムイ白石デザイン缶」24缶セットを入酒する事に成功しました。

サッポロクラシック ゴールデンカムイ 白石デザイン缶 入酒成功

サッポロクラシック ゴールデンカムイ 白石デザイン缶 入酒成功

ところが飲みきれず

と言うわけで飲む事に成功したわけですが、一人で24缶も飲むのは時間がかかります。そうこうしているうちに新しい種類のお酒がどんどん発売されていきます。例えばセブンイレブンが沖縄に出店したのを記念して販売されたオリオンビール限定品などです。

セブンイレブン沖縄出店記念オリオンビール

セブンイレブン沖縄出店記念オリオンビール

そうこうしているうちにゴールデンカムイを飲むのは後回しになってしまい、余り気味になってしまいました。さてどうしましょう。私は困り果ててしまいました。

DNS 温泉 6開催決定

そんな時にこの報せが入りました。

atnd.org

DNS温泉は何度も行ったことがありますが、今回はお酒持ち込み可能とのこと。折角なので余っていた「サッポロ クラシック ゴールデンカムイ白石デザイン缶」を持っていく事にしました。その数は約16缶。果たしてうまく輸送できるのでしょうか。

下呂温泉へ輸送

まあこれだけの数なら段ボール箱などに積めて宅配便で運ぶのが楽だと思いますが、DNS温泉6が始まるのは2019年9月7日(土)。楽天市場から届いた時の箱は解体して捨てた後でした。なのでバッグにつめて肩から下げて運ぶ事にしました。重いかなあと思ったのですが、予想に反してなんとか運ぶことができました。でまず前日2019年9月6日(金)に名古屋に入り、一泊しました。一泊したのは、翌朝、名古屋駅を発車する特急ワイドビューひだ5号で下呂温泉へ行く予定で前日に名古屋に入っていないと間に合わなかったからです。ところが、このホテルで事件が起きました。まず一缶、つい飲んでしまいました。

ちょいと一缶、名古屋にて

ちょいと一缶、名古屋にて

さらに、悲劇は名古屋を出る直前に起きました。私は睡眠時無呼吸症候群を患っている関係でCPAPを着用しているのですが、そのコンセントの先が缶にぶつかって小さな穴が開いてしまい、もう一缶ダメになってしまったのです。対応が早かったので被害は最小限で済みましたが。

 

とまあ、不幸な事故が起きてしまいましたが、なんとか現地にゴールデンカムイを運び入れる事に成功しました。

無事とうちゃこ

無事とうちゃこ

さいごに

他にも大量のお酒が何本も持ち込まれ、LTは夜中の3時くらいまで行なわれるなど中々濃い催し物ではありましたが、持ち込んだゴールデンカムイは持ち帰った人も含めて全部はけました。持ち込み制だと足りなかったり余ったりした時が大変なのですが、今回はそういうトラブルもありませんでした。不幸にも一缶を無駄にしてしまいましたが、こういう形で勉強会に貢献できて何よりでした。なお会場の宿はすぐそばにコインランドリーやファミリーマートがあるので長期滞在でも荷物は最小限度に済ませられます。またWi-Fiも高速で仮想マシンovaファイルをダウンロードするのにさほど時間はかかりませんでした。次回も予定が合えば参加したいと思っております。

宿至近のファミリーマートで入酒

宿至近のファミリーマートで入酒

 

「秘密戦隊ゴレンジャー」第38話「青い断崖! 悪魔の海賊宝さがし」

はじめに

この記事では第38話「青い断崖! 悪魔の海賊宝さがし」を紹介します。脚本は曽田博久、監督は山田稔です。

ペギー、地図の半分を渡される

ここは新宿中央公園。誰かが潜望鏡で覗いております。潜望鏡には男が誰かに追いかけられている様子が映っており、偶然(!)通りかかったペギーに封筒を渡して、そのまま逃げました。

潜望鏡を覗いている人(声:西尾徳)「あれはペギー松山、モモレンジャーだ。」

一方

ペギー「変な人達。」

と言いながら封筒を開けると

ペギー「何の地図かしら?」

地図は破り取られて半分しかないようです。その途端、先ほどペギーに封筒を渡した男が、追いかけていた男達に射殺されるのが見えました。追いかけていた男達を演じていたの大野剣友会の人達のようですね。中屋敷哲也さんの姿が見えます。で中村文弥さんらしき人が男の懐を探りましたが

中村文弥さん(?)「ないぞ。」

そこへペギー登場。男達と戦いました。男達はゾルダーの正体を現しました。

ペギー「やっぱり黒十字軍だったのね。」

ゾルダーは退散。ペギーは瀕死の男からこの言葉を聴き出しました。

男「明日、午後、一時、米子、皆生グランドホテル。306号室。」

もうお分かりでしょうが、そこが今回のタイアップ先です。閑話休題。男は絶命。

ペギー「そこに届けるのね。」

それを物陰から先ほど潜望鏡を覗いていた海賊仮面が見ておりました。

海賊仮面「あの地図は必ず取り返してみせる。」

アジトにて

黒十字総統「馬鹿者。あの地図が手に入らなければα計画は完成しないではないか。」

黒十字軍にとってあの地図は重要なもののようです。

海賊仮面「ゴレンジャーの行くところに残りの半分の地図もあるはず。二つの地図を手に入れ、この海賊仮面、誓ってα計画を完成させてみせます。」

鉄人仮面もこの場におりました。

ゴレンジャールームにて

ゴレンジャーはペギーが受け取った地図に重要な情報が隠されていると睨みました。

海城「この際、地図を狙ってくる黒十字軍を罠にかけ、徹底的に粉砕するんだ。」

総司令「明日の13時、皆生グランドホテル306号室だったな。」

ご丁寧にも大岩がこんなことを言いました。

大岩「そうすると東京から新幹線で岡山に出て岡山乗り換えの伯備線で米子まで。この距離じゃ約7時間じゃのう。」

皆生グランドホテル最寄りの米子駅への行き方まで説明するのですから、皆生グランドホテルの皆さんも御満足でしょう。なおバリブルーンで行くという発想は全くないようです。

黒十字軍、大阪からの高速バスをジャックする

東京からの行き方だけではなく、しっかり大阪から米子への行き方も番組では説明してくれます。高速バスが運行されていたのです。

高速バスのバスガイド「皆様、本日はようこそ日本交通特急バスをご利用くださいましてまことにありがとうございます。このバスは池田インターチェンジより中国自動車道を走り、落合インターチェンジ経由で米子まで参ります。この間の所要時間は約4時間でございます。米子皆生温泉へは大変便利な便でございますので、何卒、皆様方の御利用をお待ち申します。」

おんや。新堀和男さんら大野剣友会の人が乗ってますよ。新堀和男さんは変な着物を着ていますが、他の人は学生服を着ています。どこかの大学の応援団風です。その頃、ペギーも米子駅に急行で着きましたが学生服を着た怪しい男2名が尾行し、無線機で通信しておりました。そしてバス車内では

男の声「うみねこは米子で降りた。」

無線機でそれを聞いた男は新堀和男さんに目配せ。すると新堀和男さんは立ち上がり、一番後ろの席から運転席に向かって歩き出しました。そして拳銃を突きつけました。

運転手「何をする。」

新堀和男さん「もっとスピードをあげろ。ノンストップで米子までぶっ飛ばせ。」

騒ぐ乗客に

新堀和男さん「ガタガタするな!」

と一喝。すると変な帽子を被ってサングラスをした男が叫びました。この人は技斗担当の岡田勝さんです。

岡田勝さん「何をするんだよ。」

新堀和男さん「うるせえ。」

というわけでバスは米子へノンストップでぶっ飛ばすのでした。黒十字軍にもコンドラーで飛んでいくという発想はなかったようです。まあ目立つからでしょうね。

新命らも米子に到着 

さて新命も米子駅に到着。ラジカセみたいなものをコインロッカーに入れました。それを学生服を着た池田力也さんがしっかり目撃。池田力也さんは新命がものを入れたコインロッカーの隣のところに変な通信機みたいなものを入れました。そしてKioskの前で新命はペギーにコインロッカーの鍵を渡しました。ペギーは鍵を開けてラジカセでカセットテープを再生。

新命の声「皆生グランドホテル。」

ペギー「皆生グランドホテル。」

新命の声「特別室13時。」

そこまで聞いたペギーはカセットテープを止めてコインロッカーの鍵を閉めました。その様子を池田力也さんはしっかり盗聴。先ほどのは盗聴機だったのですね。で外へ出るペギーを尾行しました。もちろん、ペギーも尾行を勘づいていました。外へ出たペギーは新命に

ペギー「OK!」

というのでした。

ペギー、皆生グランドホテルに到着

さてペギーはタクシーで皆生グランドホテルに到着。タクシーには「日交」というマークが付いていたので日本交通のタクシーなのでしょう、多分。で皆生グランドホテルの外観が長めに映った後、ロビーでペギーは先乗りしていた海城と合流。

海城「頼むぞ。」

ペギー「306号室の人はどんな人?」

海城「わからん。13時ジャストに訪問するんだ。その間に黒十字軍を始末する。」

地図は海城が持っていたようです。ペギーは海城が開いた雑誌から封筒を受け取りました。

ペギー「任しといて。」

黒十字軍、皆生グランドホテルに到着

さて先ほどの高速バスも皆生グランドホテルに到着しました。降りる新堀和男さんら6人を米子に先乗りしていた池田力也さんら2名が出迎えました。

出迎えた男「13時特別室です。」

そして新堀和男さんらは特別室へと向かいました。

新命「カラスが8羽いるぞ。」

ロビーで海城は新命からの通信を聞きました。そして海城は案内板を出しました。案内板には「四階です」「特別室」と書かれています。

新堀和男さん「特別室は4階だ。」

他の7人「おっす」

エレベーターに8名が乗り込むのを見届けた後

海城「カラスは飛んだ。」

4階には明日香と大岩がいました。大岩は特別室への案内表示を貼りまくりました。これに騙された新堀和男さん達は「特別室」へ向かいました。余談ですが、大岩はこんな歌を歌いながら貼っておりました。

大岩「かーラース、なぜ鳴くの? カラスはやーまにー。ペタペタと。」

どこまでがアドリブなんでしょうかねえ。そして303号室の上に「特別室」という札を貼り

大岩「でけた。」

大岩が去った直後に

新堀和男さん「1分前か。」

ノックする新堀和男さん。

新堀和男さん「地図を持ってきました。少し時間より早いけどよろしいでしょうか。」

「どうぞ」と言われたので中に入りました。

大岩「グッ。大成功じゃ。」

新堀和男さん達は特別室もとい303号室に閉じ込められました。

部下「団長、ドアがあきません。」

新堀和男さん「なんだと!」

その時、高笑いする海城の声が聞こえました。

海城の声「まんまと引っかかったな、黒十字軍。」

それはカセットテープで録音されたものでした。

海城の声「この部屋はお前達のためにゴレンジャーが改造した特別室だ。どんなに大声を出しても外には聞こえない。無論、無線連絡もできないし、爆破しても壊れない頑丈な部屋だ。」

それを聞き、部下達は窓を開けようとしましたがビクともしません。

池田力也さん「窓が開きません。」

新堀和男さん「謀ったな、ゴレンジャー。」

新堀和男さんはカセットテープ再生機を投げ捨てました。新堀和男さんの正体は海賊仮面だったのです。もちろん、他の人はゾルダーです。

海賊仮面「小細工しおって。」

なんと先ほど投げ捨てた再生機から赤いガスが噴射されています。それを吸い、全員倒れてしまうのでした。

今回のなぞなぞ(出題編)

海城「よし。完全に催眠状態になるまで待つ。これでペギーも無事相手と接触できるわけだ。」

新命「うん。なんだかうまく行き過ぎって感じだな。」

明日香「ま、暇つぶしになぞなぞとでも行きましょうかね、大ちゃん。」

大岩「どんといらっしゃい。」

そんなことを言って大丈夫なのですか?

明日香「古ければ古いほど若いものはなんでしょう?」

これはちょっと難しいですねえ。当然、大岩のセリフは

大岩「なんじゃらほい。」

ペギー、もう一つの地図の持ち主と会う

その頃、ペギーは306号室に着いていました。

ペギー「1時ジャスト。」

そしてドアをノックして中に入りました。中にいたのはヘッドライト付きのヘルメットをした男(演:轟謙二)です。CM明けて男が話し始めました。男の名前は黒潮十兵衛。

黒潮十兵衛「私の祖先は500年前は海賊だったのです。」

ペギー「海賊?」

黒潮十兵衛「いやあ、実は、東京で殺されたというのは私の兄なんです。」

ということはあの男も黒潮という姓なのでしょうかねえ。

ペギー「するとこの地図は?」

黒潮十兵衛は残り半分の地図を出しました。合わせてみると、おんや、中海と宍道湖の地図になりましたよ。

ペギー「変ねえ。なんの地図かしら? 普通、こういう地図には目的の場所が記してあるはずなのに。これには、そんな場所、どこにもないわ。」

黒潮十兵衛は地図をしまいました。

黒潮十兵衛「さあ、私にもわかりませんね。でも地図を持ってきてくだすってありがとう。」

ペギー「黒十字軍が狙っていたものなんですよ。あなた、まだ隠してますね。」

黒潮十兵衛はそれを否定しました。

黒潮十兵衛「いやあ、何も隠してませんよ。いいですか。この地図は御先祖様が私のために残してくれたんです。あなたがたにとやかく言われる筋合いはございません。」

ごもっとも。しかしペギーは抗弁します。

ペギー「ゴレンジャーを信用してください。本当に海賊の宝物なんですか?」

余談ですが、日本にも海賊はいました。村上水軍や九鬼水軍が有名です。ただ日本海にいたかどうかまでは知りません。

今回のなぞなぞ(解答編)

その頃、「特別室」の前では

大岩「古ければ古いほど若いもの…わかった。写真じゃ。」

海城「上出来だ。」

大岩「ふふん。冴えてるの。」

海賊仮面、ゴレンジャーと戦闘開始

さて十分時間は稼いだので海城がドアの鍵を開けて中に入ると海賊仮面達が倒れていました…と思ったら、「人造人間キカイダー」で使われた曲が流れ

海賊仮面「俺は海賊仮面だ。水中に長時間潜る事もできる。この潜望鏡が酸素ボンベの代わりを務めてくれたのだ。」

要するに原理不明です。

海賊仮面「ゴレンジャー、策に溺れたな。」

素早く逃走する海賊仮面。早速屋上でアカ達4人と戦闘です。ゾルダーはいません。ゾルダーには酸素ボンベなどありませんからね。それでも海賊仮面は健闘。海賊仮面が両眼から放った海賊魚雷(ミサイルだと思うのですが、こう言っています)をまともに食らったキレンジャーはそのまま下に落ちてしまい、大岩大太の姿に戻って大の字になってしまいました。

ゴレンジャー全員、大岩を介抱する

キレンジャーが落ちる様子をペギーも目撃。

明日香「大ちゃん。」

ペギー「大ちゃん。」

ゴレンジャー全員、大岩のところに駆けつけました。

新命「大ちゃん。大ちゃん。」

大岩は気がつきました。

新命「あ、ペギー。十兵衛さんは?」

これはうっかりしてました。その頃、黒潮十兵衛は306号室から出ていました。

重力兵器 

海城はゾルダーを尋問し、α計画のことを聴き出しました。

海城「α計画と地図の関係は? 地図のありかは何を示しているんだ?」

ところが返ってきた答えは

ゾルダー「下っ端にはわからねえ。」

海城「とぼけるな。α計画とはなんだ。」

ゾルダー「重力兵器。」

海城「重力兵器?」

その瞬間、画面が切り替わり、チャチなイラストが映りました。西新宿のビル街が破壊されるようです。

ゾルダー「恐ろしい、恐ろしい新兵器だ。自由に重力を変えることができるのだ。人も車もビルも空中に浮いたと思ったら、また大地に叩きつけられてしまう。」

その時、大岩が目を覚ましてこう言いました。

大岩「恐ろしか。恐ろしか事じゃ。」

そしてまた倒れてしまいました。ペギーは大岩の救護をしています。

海城「重力兵器。おそらく地図は重力兵器を完成させるために必要な何か重大なもののありかを示しているに違いない。宝物なんかじゃない。」

海城、鋭いですねえ。そこへ新命と明日香が戻ってきました。

新命「海城、十兵衛さんがこのホテルから抜け出した形跡がないな。おそらく、まだこのホテルの中にいるはずだ。」

海城「よし、手分けして探そう。」

ゴレンジャーは手分けして黒潮十兵衛の行方を探すことにしました。

黒潮十兵衛、宝物のありかを突き止めるが…

その頃、黒潮十兵衛は大浴場でお湯に薬品を溶かし、地図にかけておりました。その様子を海賊仮面が潜望鏡で覗いておりました。そしてわかったことは

黒潮十兵衛「あ、これは島根半島の日御碕だ。」

なんとタイミングの良い事に海城が大浴場に到着。海賊仮面の潜望鏡に気がつき

海城「危ない。」

海城は黒潮十兵衛を連れ出そうとしましたが、言う事を聞いてくれません。

黒潮十兵衛「これはワシの宝だ。誰にも渡せるか。」

と叫んだ瞬間、背後に海賊仮面が現れ、

海賊仮面「地図は頂いたぞ。」

地図を奪われてしまいました。海賊仮面は鉄人仮面と合流。

海賊仮面「テムジン将軍。」

鉄人仮面「海賊仮面、地図はどうした。」

海賊仮面「地図は手に入れました。」

と言うわけで

鉄人仮面「出発!」

海賊仮面は載せなくて良いのですか? 当然、ゴレンジャーも追跡。黒潮十兵衛は半ば強引にレッドマシンに乗り込みました。

名乗り

日御碕に到着した海賊仮面と鉄人仮面。

海賊仮面「向こうだ。」

そして御誂え向きに

海賊仮面「あったぞ。」

なぜか箱が置いてありました。西洋の海賊が宝物を入れる箱に似てますね。

鉄人仮面「でかした。これで重力兵器は完成だ。」

海賊仮面「開けてみよう。」

開けてみようとした瞬間

アカ「待て。」

みるとアカ、アオ、キ、ミド、モモがいます。

海賊仮面「おのれ、ゴレンジャー。」

 

というわけで順番に名乗ります。

アカレンジャーアカレンジャー

アオレンジャーアオレンジャー

キレンジャーキレンジャー

ミドレンジャーミドレンジャー

モモレンジャーモモレンジャー

 

で今回は一人ずつジャンプします。

アカレンジャー「トイヤー」

アオレンジャー「トイヤー」

キレンジャー「トイヤー」

ミドレンジャー「トイヤー」

モモレンジャー「トイヤー」

  

そして左からキ、アオ、アカ、ミド、モモの順に着地して並び

アカレンジャー「5人揃って」

全員「ゴレンジャー」

と思ったら並び順がキ、アオ、アカ、モモ、ミドの順になってました。

流れるエンディングのメロオケ。

海賊仮面「全員、突撃。」

戦闘開始

と言うわけでしばらく戦います。モモレンジャーの中身は男性のようですな。これはオープニングのクレジットを見れば一目瞭然です。さて海賊仮面は海賊魚雷を発射しましたが鉄人仮面の近くに誤爆

鉄人仮面「ええい、この馬鹿者めが。」

その隙に

アカ「アオ、今だ。」

アオ「おう。ブルーチェリー。」

ブルーチェリー二発、海賊仮面の両眼に命中しました。

ゴレンジャーストーム・ニューパワー作戦

アカ「モモ、ゴレンジャーストームだ。」

モモ「OK!」

アカ「GO!」

モモ以外の4人が散りました

モモ「ゴレンジャーストーム・ニューパワー作戦・錨。いいわね、行くわよ。キー。」

キ「任せんしゃい。ミド。」

ミド「OK! アオ。」

アオ「オーライ! アカ。」

アカ「トイヤー! フィニッシュ!」

トゲトゲボールは錨に変形。海賊仮面は絶命しました。

黒潮十兵衛が探していた宝物の正体

鉄人仮面「海賊仮面らしい最期だったが、だが、俺は諦めん。」

海城達が近づいたので鉄人仮面と衛兵は岩陰に隠れました。

黒潮十兵衛「宝物だあ。あれはワシの宝物だ。」

そう言いながら黒潮十兵衛は箱に駆け寄りました。

海城「それは宝物じゃない。触ると危険だ。」

しかし黒潮十兵衛は言う事を聞きません。

黒潮十兵衛「ワシのもんだ。」

ついに箱を抱えてしまいました。さて物陰から見ていた鉄人仮面は衛兵を制しました。

鉄人仮面「うっかり触っては危険なものらしい。様子を見てから横取りするんだ。」

黒潮十兵衛は箱を持ち上げました。

黒潮十兵衛「宝物だ。来るんじゃねえぞ。」

海城「危ない。」

なんと箱を抱えた黒潮十兵衛はそのまま宙に浮いてしまいました。たまらず十兵衛が箱を離すとなぜか箱は地に落ちてしまい、転げて箱が開きました。遅れて黒潮十兵衛も落下。箱の中から出てきたのは

海城「これは隕石だ。」

新命「大騒ぎして隕石ですか。」

大岩「隕石ってなんじゃい。」

ペギー「宇宙から飛んできた星のカケラよ。」

大岩「早く言えば流れ星のことじゃの。」

明日香「遅く言ってもおんなじ。」

大岩「気の毒じゃのう。」

黒潮十兵衛「有難や、有難や。」

物陰から見ていた鉄人仮面は冷静にこう言いました。

鉄人仮面「あの隕石さえ手に入れば重力兵器は完成だ。」

黒潮十兵衛が隕石を拾おうとすると、隕石は宙に浮いて、どこかへ飛んで行ってしまいました。隕石はどこへ行ったのでしょうか。鉄人仮面は虎視眈々と狙っています。と言うわけでお話は次回へと続きます。

おわりに 

今回は鳥取県米子の皆生温泉ロケ編です。前後編+1話が撮影されており、皆生グランドホテルとしっかりタイアップしています。また出演者もロケコーディネーターも兼ねている轟謙二さんの他は大野剣友会の人ばかりで、あまり予算をかけていないようです。東京と大阪からの行き方もしっかり説明していますが、当時は今ほど飛行機を利用する人は少なかったようで、鉄道と高速バスの説明に止まっています。ところで東京から見れば誤差なのかもしれませんが米子から日御碕までは結構距離があります。あと、このロケでは鳥取砂丘も登場しますが、こちらも米子からは離れています。

 

さてオープニングのクレジットをみると今までモモレンジャーを演じていた内藤みどりさんがいません。その理由はこの前後編の後で放送される話で詳しく書こうと思いますが、この直前に制作された話(上原正三&田口勝彦制作)をもって降板したからです。なのでこのロケではモモレンジャーを男性が演じています。それは体型をみるとわかります。また今回007がクレジットされていますが、一切登場しません。総司令も前半のみの登場にとどまっています。旅費を浮かすためにそうしたのだろうと私は思います。