ウルトラQ -上原正三 Advent Calendar 2020 2日目-

はじめに

この記事では上原正三が全国デビューを飾った番組、「ウルトラQ」について取り上げます。

ウルトラQサンプルストーリー集

上原が参加した頃の円谷プロは「ウルトラQ」を制作していました。当初は「UNBALANCE」という題名で本格的なSFを志向した作りになっていました。上原が金城哲夫と出会った1963年頃、円谷プロでは英二の次男円谷皐が働くフジテレビとは「WoO」という番組の企画が進行し、一が働くTBSとは「UNBALANCE」という番組の企画が進行していました。これに気を良くしたのか、英二は光学合成に使用するオプチカル・プリンタの最新機種、オクスベリー社の1200シリーズを発注してしまいました。ところがこれは当時の値段で4千万円もしました。手付金の500万円はなんとか工面できたものの、当時の円谷プロは残金を支払う余裕などありませんでした。何しろ、この当時は番組制作の実績などなかったからです。窮した英二は息子達に相談。最終的には一の奔走でTBS編制局長の大森直道が動き、TBSが英二の代わりにオクスベリー1200を購入することになりました。そして、そんな高額な機械を死蔵するのはもったいないと、「UNBALANCE」の制作が決まったのです。

とはいうものの、当初、円谷一は「UNBALANCE」の制作に乗り気ではありませんでした。既にテレビドラマの世界を歩んでいた一は父英二と比べられるのが嫌だったらしいのです。ですが、円谷プロに在籍していた熊谷健が小山内美恵子に発注して書かれた脚本「あけてくれ!」のプロットを読んだ一は態度が変わり、「ああ、これだったらいいなあ」と言ったそうです。「あけてくれ!」は現実世界から逃避したいと願う男が異次元へ行って過ごす話でした。当然、怪獣は登場しません。これなら父と比べられることはない。そう、一は思ったのでしょう。ですが、制作が進むにつれ、TBS側プロデューサー栫井巍は視聴者には難解な話が続くことを危惧し、怪獣路線への転換を要望します。そして番組の名前も「ウルトラQ」に変わったのです。

上原が円谷プロに参加した頃、「ウルトラQ」の制作は2クール目に入っていました。先述した事情でSFから怪獣ものへと路線転換が決まった結果、円谷プロでは「ウルトラQ」のサンプルストーリーを作ることになりました。まず上原が行なった仕事はそのお手伝いでした。白石雅彦著「ウルトラQ誕生」での上原の証言を引用しましょう。

上原  昔、祖師ヶ谷大蔵にはなぶさという旅館があってね、そこに籠もって書いたんですよ。夜は大体、祖師谷商店街の高橋で焼き鳥だね(笑)。みんなで色んなことを喋りながらストーリーを考えてそれぞれが書く。まとめは金城が書くみたいでやりましたね。でもそもそもサンプルストーリーを書くと言ってもね、僕は怪獣ものなんか書くつもりは全くなかったからね、だから無理矢理ですよ。「ミミモンズ撃滅作戦」ってあったでしょう。あれは僕が書いたんですが、ああいうでかい怪物が暴れるというのは好きですね。ただ、制作部がびびっちゃってね、予算がかかりすぎると(笑)

とまあ不本意な仕事ではあったようですが、こうして上原の仕事が始まりました。

まぼろしの全国デビュー作「OiL S.O.S.」

そんな上原も「ウルトラQ」の脚本を書くことになりました。それには、次のような事情があったようです。沖縄タイムスの記事「ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー 」では次のように話しています。

―当時、TBSのエース監督だった円谷一氏は「収骨」をどう評価したのか。

 「円谷プロで再会した一さんは、受賞は喜んでくれたけど『沖縄はタブーだ。政治なんだよ。テレビでは絶対にできないぞ』って…。TBSのドラマは他局より秀でていたが、反戦の名作『私は貝になりたい』などは右翼に攻撃されてね。テレビ局は、政治的なテーマにピリピリしていた。代わりに、一さんは僕に『ウルトラQ』を書けと勧めてくれた」

 「で、書いたのが『オイルSOS』。ヘドロから生まれた怪獣が、石油タンクに吸い付いて巨大化するという話。沖縄戦がだめなら、水俣病をテーマにやってみようとした。一さんのゴーサインが出てね。石油会社を訪ねたら『どうぞロケでお使いください』と言う。あの高い石油タンクの上から景色を眺めると、天下を取った気分になったよ。沖縄は無理でも、公害問題を告発できると喜んだ」

こうして上原は「OiL S.O.S.」を書きました。もちろん演出するのは円谷一の予定でした。白石雅彦著「ウルトラQ誕生」での上原の証言を引用しましょう。

上原 芸術祭で大賞をとった監督がね、僕みたいな新人の脚本を撮るというのは、大変なことなんだよね。円谷一さんにしても、二年前に「賞を取ってこい」と言った手前、なにかやらなきゃ男が立たないということだったんだ。だから脚本が通ったときは、天下を取れたんだけど、結局断られてしまった。というのも、”我が社の廃液が元で怪獣が出ている”という誤解があったからなんだ。

残念ながら、上原の書いた「OiL S.O.S.」が映像化されることは成りませんでした。上原の証言にある通り、ロケ先に予定されていた会社が断ったからです。「OiL S.O.S.」に登場予定の怪獣は既に製作済みでした。また一説にはキャスティングも済んでいたようです。

さて白石雅彦著「ウルトラQ誕生」によれば「OiL S.O.S.」には準備稿と決定稿が存在します。そしてその改訂稿「東京SOS」が存在します。ウルトラQ誕生」ではそれぞれのタイトル前のナレーションを紹介しています。

まず準備稿は

N「…海が埋め立てられて、石油製油所が立ちました。製油所から廃液が海に流れ込んで、海が死んだのです。今夜は、死の海に誕生したクラプトンの物語です」

次に決定稿ではこう変更されています。

N「…海が埋め立てられて、石油化学工場のコンビナートが立ちました。あらゆる工場の廃液が海に流れ込んで、生物が住まなくなってしまったのです。今夜は、死の海に誕生したクラプトンの物語です」

準備稿では石油製油所の廃液によって怪獣クラプトンが誕生したとされていたのが、責任の所在が曖昧にされています。そして「東京SOS」ではさらに手が入り、こうなりました。

N「…海にはさまざまな生物が住んでいます。私達がまだ一度も見た事がない生物がきつといるにちがいありません。今夜は新しく海に誕生したクラプトンの物語です」

もはや廃液問題は入っていません。このような改稿から見えてくることは、円谷プロはギリギリの段階まで「OiL S.O.S.」映像化の道を探っていた、ということです。白石雅彦著「ウルトラQ誕生」ではエンディングの改稿についても触れていますが、長くなったので、ここでは割愛します。結局、円谷一はこの後、ガラモンが登場する「ガラダマ」を演出することになったのでした。なお当初の予定は二本持ちでしたが、結局撮影したのは「ガラダマ」一本でした。これには後述する事情が絡んでいました。

全国デビュー作「宇宙指令M774」

さて「ウルトラQ」ではもう一つ動きがありました。助監督として参加していた満田かずほが監督に昇進することになったのです。満田は元々はTBSで円谷一のADを務めていました。円谷プロにはその縁で入り、「ウルトラQ」の助監督を務めていたのです。白石雅彦著「ウルトラQ誕生」での満田の証言を引用します。

満田  「ガラダマ」のロケのときにね、栫井さんがいらっしゃったんですよ。それで「僕にちょっと話があるから」と旅館の部屋に呼ばれたんです。それで栫井さんの部屋で「まあ、一杯いこう」と日本酒を飲みながら、「実はな、ツブ(円谷一)は、新しいシリーズ、それも海外との合作のものがあるから、TBSに引き上げる。それでこっちはシナリオが一本できているんだけど、これを現在いる監督にお願いしたい、とは言いにくい」とおっしゃるんですよ。現在いる監督は中川(晴之助)さんだったり野長瀬(三地)さんですからね。それで「お前、ツブの弟子みたいみたいなものだから、あとを継いでやりなさい」と。つまり僕に監督をやれ、ということだったんですね。

なお満田は二本持ちで監督デビューすることになりました。一本は千束北男(TBS映画部所属だった飯島敏宏のペンネーム)が書いた「燃えろ栄光」で、もう一本が上原正三が書いた「宇宙指令M774」でした。これは「OiL S.O.S.」のために作った作り物(クラプトンというエイのような怪獣)が既にできていたため、それを活用するために書かれた話です。とはいうものの精魂込めて書いた「OiL S.O.S.」が流れたからか、あまり乗り気ではなかったようで、上原も満田も、満田主導で脚本が書かれたことを認めています。キール星人操る怪獣ボスタングの出現を女性のルパーツ星人ゼミがやってきて警告するというのは満田の発案だったのです。

 

とはいうものの、上原は自らの戦争体験を作中に忍ばせています。ボスタングを攻撃するのは海上保安庁の巡視船でしたが、その攻撃の様子は幼い頃の上原が那覇に上陸できずに鹿児島まで漂流した体験を元に記述しています。

 

この記事では上原正三の全国デビューの流れを描きました。上原が脚本を担当した「ウルトラQ」の話にはもう一本「ゴーガの象」がありますが、これが世に出るまでも紆余曲折がありました。残念ながら、ここで扱うには長すぎる内容になってしまいますが、この話は元々は「OiL S.O.S.」のような社会派の話ではなく、当初はファンタジー溢れる「化石の城」という話でした。上原は後に「秘密戦隊ゴレンジャー」や「がんばれ!!ロボコン」そして「電子戦隊デンジマン」などで緩急自在の作風を見せることになりますが、その兆しは「ウルトラQ」の頃に既に表れていたのでした。

adventar.org