かんのんホテルの男達 - 必殺シリーズ

この記事では必殺シリーズの制作では欠かせない、かんのんホテルを取り上げましょう。『必殺仕置人』『新・必殺仕置人』に登場する念仏の鉄などがすむ観音長屋の元ネタです。京都市の岡崎にあったホテルを京都映画の櫻井洋三プロデューサーが抑えて脚本家を住まわせていたのです。『必殺シリーズ異聞 27人の回想録』に櫻井洋三プロデューサーの証言が載っています。

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櫻井 10部屋を松竹で押さえて、脚本家10人を放り込んで、僕があっちの部屋、こっちの部屋と回って、それぞれとホン作りですわ。もう家に帰られへん。晩になったらみんなですき焼き、一緒に飲んで食って、その費用は全部こっち持ち。かんのんホテルは、ほんま重要やった。
『必殺』はスケジュールがギリギリで、だから台本も当時起こった事件なんかをすぐ反映していったんです。それとね、ホテルの女中さんが「○○さんのホンができました」って電話くれた。全部そういうの知ってまんねん。できあがったらみんな寝たり、遊びに行ったりしますやろ。もう女中さんもスタッフみたいなもんや(笑)。

そういった環境で野上龍雄安倍徹郎国弘威雄村尾昭と言った面々がしのぎを削って書いていったわけです。さらにこう証言しています。

ーかんのんホテルには東京から来た監督も宿泊していたそうですが。
櫻井 みんなで合宿や。夕飯も当番で買い出し係とか決めてね。麻雀もようやった。野上さんは「これ家に送る分なんだけど…」とギャランティまで賭けて(笑)。いちばん下手なんは蔵原さん。やれば負けてた。だから、いつでも麻雀できるように麻雀専用の部屋をひとつ押さえましたよ。
ーとくに麻雀が強かった人は?
櫻井 だぁれもおらへん。みんな下手くそ(笑)。かんのんホテルを経営しとったんはあるお寺の偉い人で、そのおっさんがまた生糞坊主なんですわ。料金も安い。気にしてないから、経営のことを。ええ旅館でしたよ。

麻雀しに京都映画のスタッフも来たそうで村尾昭さんは石原興さんや園井弘一さんが来ていたことを証言しています。また中尾ミエさんや和田アキ子さんも来ていたようです。

さてかんのんホテルには火野正平さんも泊まり込んでいました。

櫻井 正平! あいつには往生しましたで、ほんまに。「かんのんホテル」に泊まっとったんですけど、年がら年中もう相手を代えてね、女優を片っ端からですわ。「ええ加減にせえ!」と怒ったこともありますよ。あいつは星野事務所なんですけど、「あんたな、正平ええ加減に押さえたらどうや」と、だいぶ星野(和子)さんに言いましたな。また正平は、そういうことをペラペラしゃべるんですわ。「お前さんな、『必殺』やってるときはそういうことするなよ」と、なんべん言いましたか、ほんまに。
ただ芝居は上手いでっせ、好きにアドリブも入れながらね…ぼくは芝居が上手い役者が好きですから、正平は和田アキ子とも喧嘩して、あの人は率直なタイプで、正平がだらしない男やから、まぁ喧嘩というよりは現場の芝居に関して和田さんが「こうしたい」、それに正平が反抗して、お互いバチバチやってましたな。そらもういちばん困ったのは正平、あれに勝るやつはおらん!

さてかんのんホテルでの生活ぶりについては国弘威雄さんがこのように証言しています。

国弘 (前略)最近ちょっと医者から止められているんだけど、ぼくはすごい酒飲みでね。『必殺』のときなんか、必ず夕食のときに飲んで、夜は仕事しない。で、朝起きてやる。だから野上氏なんかぼくによく文句言ってましたよ。どうしてもほら、夕食は一緒ですから、ぼくが「飲めよ」って言うじゃない。すると向こうはつい手ぇ出しちゃうわけね(笑)。するとあっちは仕事できなくなっちゃう。

なんと一升瓶を持ち込んで毎晩食堂で飲むことまでしていたそうです。そんな体制をよく維持できたものだなあと思いますが、やはり一悶着あったようで安倍徹郎さんが次の証言を残してます。

安倍 やっぱり松竹はすごかったですよ。どうすごいかって、松竹でも『必殺』は当初赤字だったはずです。まぁ京都映画の撮影所を遊ばせてるわけにはいかないから作品は作りますけどね、ただ、その赤字の中身というのが、岡崎の「かんのんホテル」でライターを自由にさせている分じゃないかって(笑)。あいつら東京で仕事させてれば、制作費トントンくらいになるはずだって。それで東京にある松竹のテレビ部がプロデューサーの櫻井に「おい、なんとかならんか? 東京で別々に仕事させればいいじゃないか」って言うの。そしたら櫻井は「じゃあそうしましょう。その代わり東京のテレビ部であいつらライターに必ず週1本新しい作品を書かせてください」と答えた。
でもそれはできないんですよ。みんないろいろと仕事を抱えていて京都でカンヅメにするから書くんです。こっちにいれば面白い役者や監督がいて、いい仕事してるってことがわかるからノッて書くんであって、みんな「俺がメインライターだぞ」って鎬を削るからこそ書くんであって。東京にいたら連続ものに逃げちゃったりして書かないですよ。それがわかってるから、テレビ部の意向はうやむやになっちゃって(笑)。
しかし、櫻井はやり手だったね。作家をとことん優遇してくれた。またそういうところに放り込まれて、ほかのライターはもちろん監督たちと一緒になって仕事をする…これはデカいですよ。たとえば、その週を野上が書いたって言うんで見るじゃないですか。で上手いと。「この野郎、俺はもっと面白いもの書いてやる」って、いい意味のライバル意識を全員たぎらせていましたから。こういうところが『必殺』という番組が成功した、ひとつの理由だと思いますけどね。

櫻井さんのハッタリブラフ攻撃が効いたのでしょう。『必殺必中仕事屋稼業』の第20話「負けて勝負」(脚本:田上雄、監督:松本明)を彷彿とさせる話ですが、よく考えたら、この話の脚本と監督は朝日放送の人脈ですねえ。余談ですが、この話、当初の脚本では津川雅彦さんは殺される流れとなっていたのですが緒形拳さんが、それはできない、と意見したので、ああなったのだそうです。

最後に火野正平さんの証言を紹介しましょう。かんのんホテルには(松竹絡みではなくて東映絡みでしょうが)山城新伍さんや渡瀬恒彦さんも泊まっていたそうですが、火野さんはこんなこともしていたそうです。

火野 (前略)俺はかんのんホテルの表に面した部屋に泊まってたの。あそこは門限があって鍵を閉めちゃうんだけど、俺の手に紐を繋いでずっと下に垂らして、みんな酔っ払って帰ったら、その紐をガンガン引っぱる…そうしたら下に降りて鍵を開けてって、そんな係までやらされていたからね。

かんのんホテルは現存しないそうですが、こういったホテルで好き勝手やっていたのが必殺シリーズを生み出した原動力になったのは間違いないのでしょう。さてこのホテルに泊まっていた脚本家は京都映画の人脈で参加させた脚本家達。朝日放送の人脈で参加させた人達(保利吉紀、田上雄、中村勝行など)は大阪のホテルプラザに泊まっていたのだそうです。後に保利吉紀さんはかんのんホテルに移ったそうですが、移る時は緊張感があったようです。