ホテルプラザと朝日放送の男達 - 必殺シリーズ

この記事では朝日放送から必殺シリーズに参加した二人の監督および『必殺シリーズ異聞 27人の回想録』を読むまで私がその存在を知らなかった、ホテルプラザについて紹介しましょう。かんのんホテルは有名ですが、あちらは京都映画が抑えたホテルです。さて必殺シリーズの制作は京都映画が中心でしたが、制作局の朝日放送も関わっていました。二人の社員ディレクターを監督として参加させたり、脚本家の人選にも関わっていました。関西在住者(松原佳成など)だけではなく東京などからも人(田上雄、保利吉紀、中村勝行など)を呼んでいましたが、その時に使ったホテルが当時朝日放送の前にあったホテルプラザでした。まず田上雄さんの証言を紹介しましょう。元々松本明さんのことは知っていて、1975年のネットチェンジの時にNET(テレビ朝日)から朝日放送に推薦されたのだそうです。『必殺シリーズ異聞 27人の回想録』から引用しましょう。

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田上 ABCの仕事は初めてだったと思うんですが、大阪まで行って松本さんと山内久司さんに迎えられて、松本さんは「ぜひ仕事したいと思っていた」みたいなことを言ってくださって、ところがぼくは『仕事屋稼業』を見たことがなかった(笑)。
ー未見のまま打ち合わせに。
田上 当時はABCの前に「ホテルプラザ」があって、そこの一室に入りました。松本さんが「あんた酒飲むか?」って聞くから「少し呑みます」と答えたらすぐビールを取って…松本さんも相当飲む人だったから、ビールの瓶がどんどん溜まっていく(笑)。で、話してるうちに「どんなのを書きたい?」って言うから「それよりどんなホンがほしいんですか?」と聞いたら、『仕事屋』と言うのは博打のシリーズだったんですね。松本さんが「『スティング』みたいな話がいい」って言うんですよ。騙し合いで、最後は殺しよりも博打の勝負で勝つところを強調したホンがほしいと。ただ『スティング』だとバレバレなので(笑)、ヘンリー・フォンダの『テキサスの五人の仲間』…これもコンゲームもので、ポーカーのイカサマで勝って逃げていくコミカルでシニックな映画があったので、そっちでどうだと提案したんです。
松本さんも「俺は見てないけど、それでやってみよう」ということで、あれは5日間くらいで書きまして、プロデューサーの山内さんもおもろいなぁということで、すぐにOKが出たんです。で、ゲストも松本さんと親しい津川雅彦さんに決まった。

こうして生まれたのが第20話「負けて勝負」でした。この後、緒形拳さんの意見が入り、山内久司さんの判断で殺しを抜きにすることになり、さらに緒形さん、松本さん、田上さんが話し合って脚本ができあがったのでした。

さて何故朝日放送がホテルを抑えたのか、そこには朝日放送から派遣している監督達がやりやすくしたいという意向があったようです。『必殺シリーズ異聞 27人の回想録』から続けて引用しましょう。

田上 野上龍雄さんや国弘威雄さんは、その前に東映で書いたころに顔を合わせてますので、あっさり受け入れてもらいました。ただ松本さんからは「あんまり京都に行くなよ」と言われていて…すでに『必殺』というのは京都の「かんのんホテル」に入るという習慣があったみたいなんですよね。あそこにライターが入っちゃうと、どうもこっちの意見が通りにくい…みたいなことをチラッと松本さんは仰ってましたね。
あそこは映画の監督さんがたくさんいましたから、あの人たちの意見が強いんですよ。だから松本さんや大熊(邦也)さんは、ちょっとやりにくいところがあったんじゃないですか。大熊さんからも「俺の回も書いてや」みたいなことを言われましたが、けっきょく機会がありませんでしたね。

さて朝日放送の人脈で脚本家になった人がいます。中村敦夫さんの弟の中村勝行さんです。『必殺シリーズ異聞 27人の回想録』で中村敦夫さんがこう証言しています。

中村 勝行は本当をいうと漫画家になりたかったんです。とても上手かったし、知り合いの出版社に頼んだけど、あんまり積極的には取り合ってもらえなかった。それから製作会社でプロデューサーの助手というか原稿運びみたいな仕事をやってたんですが、あるドラマで作家さんが手詰まりになって原稿が間に合わず、代理で書いたら評判がよかったそうなんです。「脚本家になりたいのか?」って聞いたら「なりたい」と言うので山内さんに紹介して、サンプルの一発目が即OKで採用されたんです。それまで自分が忙しくて弟の面倒まで見れなかったから、せめてそのくらいはね。あとはほったらかしで、東映からも話がきて脚本家としてやっていきました。

と言うわけで朝日放送からの人脈で中村勝行さんは必殺シリーズに参加することになりました。なので最初はホテルプラザに詰めていたのですが、途中からかんのんホテルに移り住むことになります。ただ『必殺仕業人』では朝日放送の大熊邦也監督が組むことが多く、6本が大熊監督による演出です。大熊さんは『必殺シリーズ異聞 27人の回想録』で次のように証言しています。

大熊 野上龍雄さんみたいなベテランとは組まさないようにしていたんじゃないですか。どういう意図があったのかは知りませんけど、そういう組み合わせでしたね。仕事は早かったんですが、勝行の脚本は少し荒っぽいところもあって、もうちょっと人物をしっかり描いたらいいのにと言う気はしましたが。しかし書くのは早い。ほかの監督がやりたくなかったのかなあ(笑)。

と述べています。なお松本監督は大熊監督の同じ大学の一年先輩だそうです。中村勝行さんは2022年に亡くなったそうですが、親友だったと田上雄さんは述べていました。