必殺仕事人
この記事では必殺シリーズ第15弾の『必殺仕事人』を取り上げましょう。
前作『翔べ! 必殺うらごろし』が不調だったため、必殺シリーズの集大成として原点回帰を行なった作品です。中村主水は八王子に左遷されていましたが、勘定奉行の稲葉とも関わりのある元締鹿蔵(二代目中村鴈治郎)に呼び戻されます。主水の仲間になるのが浪人の畷左門(伊吹吾郎)で、彼は家老の息子で中村主水そっくりの男に妻の涼(小林かおり)を手籠にされそうになったために娘の美鈴(水本恵子)を連れて脱藩した過去がありました。初めは仕事人になることを渋る主水でしたが鹿蔵の話に心を動かされ、畷左門の初仕事だったこともあり、「一回だけ」の約束で仕事を受けます。左門は苦戦しながらもなんとか標的を殺すことに成功しますが、左門自身は誰かの助けが入った事を自覚していました。左門の仕事を助けた男こそ、長屋に住む左門とは隣同士で飾り職人の秀(三田村邦彦)でした。秀は情婦絡みで同じ標的を狙っていたのです。なので中村主水の殺しも目撃しており、左門の加勢に入ったのです。現場に残してしまったノミから中村主水は飾り職人の仕業と睨み、調査した結果、最終的には秀の仕業であることを突き止めます。秀は殺しからは足を洗っていましたが、その理由は「殺しは後に何も残らないスカッとしたもの」だというもの。その言葉を聞いた主水は不安を抱きますが、鹿蔵は気に入り、秀の友人を殺した一味の仕事を手伝うように誘います。その殺しで、頼み人(赤座美代子)が仇を前にしながらも何も出来ずに泣いてしまったのを観て、「殺しは後に何も残らないスカッとしたもの」という価値観を否定されてしまうのですが、秀は鹿蔵に配下にしてくれと頼み、こうして鹿蔵配下の仕事人チームが結成されたのです。この結成劇は第1話と第2話で語られています。
さてこの番組は路線変更が何度も行なわれています。視聴率が低調だったからではなくていずれも出演者絡みのものです。その前に初期のメンバーを軽く観ましょう。畷左門は『必殺仕掛人』の西村左内をモデルにしたのは間違いないでしょう。秀は初期はノミを武器にしていました。鹿蔵の表稼業は将棋界所の親父。密偵は「はーりかえ。障子、行燈、襖の張り替え」という売り言葉でわかるように張り替え屋の半吉(山田隆夫)で『必殺仕置人』のおひろめの半次を参考にしたのかもしれません。鹿蔵は第1話や第3話で殺しの腕を見せています。特に第3話は偽りの頼みを行なった頼み人を「あー、よしよし」とまるで娘をあやすように呼び寄せながら、ブスリと匕首を刺すという凄みを見せています。要所の話を野上龍雄さんが書いていますが、脚本家は尾中洋一さんと石森史郎さんが中心となりました。
しかし早くも転機が訪れます。鹿蔵を演じた二代目中村鴈治郎さんが体調不良で降板することになってしまったのです。変わって登場したのが鹿蔵とも関係のあるおとわ(山田五十鈴)さんでした。山田五十鈴さんが演じていることもあって武器は三味線やバチでしたが、後の番組と登場するおりくと違っておとわは豪快な性格でした。半吉はそのまま密偵として活動しますが、おとわは若い秀を危なっかしく思っていた様子が何度も描かれています。
尾中洋一さんの書く脚本は挑戦的な内容が多かったのですが、第13話「矢で狙う標的は仕事人か?」を最後に降板してしまいます。この話は外道組織との抗争でしたが、なんと幼い少女の殺し屋まで登場したのです。松野宏軌監督が映像化した時は少女殺し屋に誰も手が出せず、少女殺し屋は去っていくのですが、尾中さんが書いた脚本ではおとわが元締としての責任から少女殺し屋を殺す流れになっていました。彼と入れ替わりに参加したのが吉田剛さんです。尾中さんが抜けてから、緩い話が多くなっていくのです。
次におとわも山田五十鈴さんのスケジュールの都合から第21話で「生き別れの妹を殺したことに衝撃を受けて」旅に出てしまいます。以後は元締不在で話が進みます。
さて番組は好調だったようで、当初は「必殺シリーズの集大成」とするはずが、後継作の企画も固まらなかったこともあり、延長が決定します。ところが今度は半吉を演じる山田隆夫さんのスケジュールを抑えられず、半吉は第26話で殺されます。そのため、しばらくは主水、左門、秀の3人だけで話が進んでいきます。ですが、第29話「新技腰骨はずし」で番組はリニューアルするのです。
まず木更津で村長を務める六蔵(木村功)が元締になり、密偵として加代(鮎川いずみ)とおしま(三島ゆり子)が江戸に送り込まれて上総屋という質屋を営むようになり、そこがアジトになりました。左門は武士が嫌になり、持っていた同田貫を売り払っておでん屋の屋台の店を開業し、坊主頭に変えて殺し技も柔術を活かした人体二つ折りに変更します。第33話から秀はノミではなく簪を武器にするようになりました。六蔵が元締に変わってから番組は一年一ヶ月放送され、最終的には第84話まで制作されるのでした。
さて六蔵が元締になってから、というよりは尾中洋一さんが書かなくなってからは緩い話が多くなったように思います。私が『必殺仕事人』を初めて観たのは中学生の頃にテレビ朝日が毎週土曜日の昼間に行なっていた再放送でしたが、この時は編成の都合なのか、第18話「武器なしで あの花魁を殺れるのか?」を放送して中断してしまいました。なのでそれ以降の話を観たのはかなり後。初期の話にあった挑戦的な作風がなくなってしまったなあとつくづく思ったものです。同じ思いを脚本を書いた人も思ったようです。『必殺シリーズ異聞 27人の回想録』で野上龍雄さんがこう証言しています。
野上 シリーズのラストの方はぼくはほとんどやってないんだよ。というのも、シリーズがヤワになっちゃったんだ。主水がUFOを見るなんてね(『必殺仕事人IV』第27話「主水未知と遭遇する」)。こんなのが出てきたらダメだと思った。はじめの発想が『必殺』からなくなっちゃったんだよ。主水がUFOを見るとか、ぼくはそれだけでは書けないよ。
それで山内さんに「昔の凄みがなくなったね」と話をしたら、「テレビシリーズは視聴者に合わせて変わるものなんだ。観客も変わるし、時代も変われば、内容も変わるんだ」と言うんだよ。「テレビとはそういうもんだ。変わらないとテレビではない、いつまでも最初に作ったころの精神でやっていても、続かないんだ」と。それでぼくも「なるほど、テレビとはそういうものか」と思っちゃった。「それじゃあ、ぼくはやめるわ」ということでやめたんだ。主水がUFOを見るような話は、ぼくにはとっても書けないから。
仲川利久さんのブレーンとしても活躍した松原佳成さんはもっと踏み込んだ証言をしています。
松原 残念ながら『必殺』は仲川氏が抜けたあと、脚本がパターン化して品質が悪くなりました。初期のライターは次々と抜け、予算が少なくなったので脚本料もケチりはじめます。また『仕事人』というタイトルに固執し、それ以外の冗談路線との交互提供によってマンネリ化しました。時代劇ブームが去りつつあったのも不運でした。やはり『必殺』というのは最初の10年ではないでしょうか? 山内氏の溜息からもそれが伝わるようでした。
仲川利久さんが抜けたのは『新・必殺仕舞人』の途中ですが、それ以後の作風の予兆を私は『必殺仕事人』の途中で感じてしまったのでしょう。なので時代劇専門チャンネルやホームドラマチャンネルでの再放送でもどうしても初期の作品を見がちになってしまいます。
当初の予定通りに必殺シリーズが『必殺仕事人』で終わっていたら、私は必殺シリーズを知らずに終わったかもしれないのでなんとも言えないのですが、やはり当初の予定通りに終わらせた方が美しかったのではないかなあとどうしても思ってしまうのでした。