秘密戦隊ゴレンジャー

はじめに

この記事では1975年4月5日から1977年3月26日まで、NET(現・テレビ朝日)系列で毎週土曜19:30 - 20:00に全84話が放送された「秘密戦隊ゴレンジャー」を取り上げましょう。

5人ライダー

この番組、当初は「仮面ライダーアマゾン」の後番組で平山亨が企画したのが発端です。ダブルライダーなど複数のライダーが登場する話は仮面ライダーシリーズでも話題になることが多く、盛り上がっておりました。平山亨は「仮面ライダーX」から視聴率が下がり気味だったことに危機感を覚え、「スパイ大作戦」も参考に5人の仮面ライダーがレギュラーとなる「5人ライダー」の企画を立てたのですが、毎日放送編成局映画部長の庄野至は、「ヒーローは1人であるべき」とし、これを却下してしまいました。そのため、「仮面ライダーアマゾン」の次の仮面ライダーシリーズは「仮面ライダーストロンガー」になったのです。「5人ライダー」の企画は一旦お蔵入りとなりました。

腸捻転解消

ところが、ここで事件が起きます。腸捻転解消です。毎日放送は当時はNET(今のテレビ朝日)とネットを組んでいました。毎日放送毎日新聞系列でNETは朝日新聞系列でした。これが問題視されたのか、毎日放送はTBSとネットを組み、NET(今のテレビ朝日)は朝日放送とネットを組むことになりました。これは放送局にとっては大事件で色々な番組が影響を受けています。仮面ライダーシリーズはTBSで放送されることになりましたが、仮面ライダーシリーズが当時放送されていた時間帯、TBSでは大橋巨泉司会の「お笑い頭の体操」が放送されていたため、仮面ライダーシリーズは土曜日の19時放送開始になってしまいました。なお毎日放送側はこの動きを予め察していたのか「仮面ライダーアマゾン」は初めから全24話の予定だったらしいです。

さてNET(テレビ朝日)から見れば人気番組だった仮面ライダーシリーズがなくなってしまったので困りました。以前も書きましたが相手の「お笑い頭の体操」は人気番組だったからです。そこでNET(テレビ朝日)は東映に相談。そこで急浮上したのが「5人ライダー」の企画です。さらに石ノ森章太郎も加わって企画が見直され、制作されたのが「秘密戦隊ゴレンジャー」だったわけです。この番組が2年間も放送され、「お笑い頭の体操」を終了に追い込んで「クイズダービー」が始まったり、仮面ライダーシリーズが一旦終了になるきっかけになったとは当時誰が予想できたでしょうか?

秘密戦隊ゴレンジャー

さてメインシナリオライターを務めたのは上原正三でした。以前も書きましたが全84話中51話を書いています。当時は「がんばれ!!ロボコン」も放送されていて、こちらもハイペースで書いていました。金曜日と土曜日に連続して上原正三が書いた話が放送されることが多かったに違いありません。真面目に調べる気にはなりませんが。元々、この枠で放送されていた「仮面ライダー」の企画に上原が参加したことを考えると何かの縁があったのかもしれません。

さて「がんばれ!!ロボコン」は「快獣ブースカ」を彷彿とさせるコメディーでしたが、その作風が「秘密戦隊ゴレンジャー」にも伝染してしまったのか、上原が書いた話は緩急自在の作風になっています。キレンジャーのカレー好きはよく知られていますが、彼はそれを誇張して書いて盛り上げています。であれだけ他の作品の脚本も書きながら、他の人が書いた話もチェックしていたのは以前書きましたが、当時を振り返って上原は、曽田博久には影響を受けた、と発言しております。野球仮面や牛靴仮面を書いたのが曽田博久です。上原も機関車仮面を書いています。沖縄の人はヤマトへの恨みを持つ人は多いですが、おおらかなテーゲーさも持っています。上原もその両方の性格を持っていたので緩急自在な作風はその発露なのかもしれません。ゴレンジャーの名物といえば、なぞなぞやカレーライスと大岩絡みの場面ばかり思い浮かびます。なお、実務は吉川進プロデューサーが担当しましたが、殺陣は「イナズマンF」も担当していた大野剣友会が担当し、途中からアクションがJACに変わりました。

で開始当時、「秘密戦隊ゴレンジャー」が2年間も続くとは思っていなかったでしょう。なので5人以外の江戸川総司令や007が出演していない時期もあります。007が途中登場していないのは撮影中に負傷したかららしいのですが、終盤登場しない理由は定かではありません。でキレンジャーも大岩大太を演じる畠山麦のスケジュールの関係で途中、だるま二郎が演じる熊野大五郎になっています。

「ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ

 さて「秘密戦隊ゴレンジャー」の原作漫画を石ノ森章太郎は書いています。初めは番組内容にそったものだったのですが、週刊少年サンデー連載分は途中から路線変更し、「ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ」という漫画になってしまいました。その内容は、本物のゴレンジャーに憧れた5人の少年少女が「ゴレンジャーごっこ」をするというギャグ満載の内容です。少年少女が戦うのは町内のイジワリさんばあ(胃痔割 産婆)率いるガキ十字軍だったり、ガキ十字軍を乗っ取ったお姉さんの渡スケ兵衛だったりします。モモも渡スケ兵衛もよくヌードになったりされたりしていました。でなぜかロボコンも登場します。ロボコンのゴキブリ大嫌いネタも炸裂しますが、詳細を書くのは諸事情により(要するに下ネタ)やめておきましょう。

この漫画のイメージが強かったので私は長い間、「秘密戦隊ゴレンジャー」の原作漫画ははじめから「ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ」と思い込んでいました。放送に沿った原作漫画があったと知ったのはつい最近です。石ノ森がなぜこのような作風に変えてしまったのかは定かではありませんが、番組の盛り上がりを見て悪ノリしたのかもしれませんね。

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がんばれ!!ロボコン

はじめに

この記事では1974年10月4日から1977年3月25日まで、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列で全118話が放送された「がんばれ!! ロボコン」を取り上げます。

ロボコンの概要

この番組はロボット学校に所属するロボコンが大山家または小川家でお手伝いをした…つもりで色々な騒動を起こし、最後ガンツ先生の採点が行なわれて評価を受ける、というものです。2年半近く放送されたため、ロボットのレギュラーもロボコンが「お手伝いする」家も変遷がありますが、ロボコン(声は山本圭子)、ガンツ先生(声は野田圭一)、町田巡査(由利徹)とロビンちゃんは最後まで登場しました。

ロボットは一期生、二期生、三期生に大別されますが、二期の途中で登場したロボイヌやロボカーもいれば、最後に登場したロボチャンなど、細かい例外もいます。一期生、二期生は皆卒業して行きましたが、ロボコンとロビンちゃんは最後まで登場し続けました。ロビンちゃんは当初はロボットの設定だったらしいですが、演じた島田歌穂が顔出しで演じており、また当時の年齢は中学生くらいだったために演者が成長してしまい、バレリーナ星から来たのをガンツ先生が預かっているという設定が明かされました。またロビンちゃんは当初はロボガリと一緒にいることが多かったのですが、途中からロボコンと仲良くなっていきました。

ロボコンももちろんロビンちゃんが好きだったわけですが、二期生でロボペチャが登場。ロボペチャは看護婦ロボットなのですが、どういうわけかロボコンが大好きで、ロボコンを追いかけ回していました。右手が注射器になっており、「おチューするわよ」というのも口癖でした。三期生になるとロボメロが登場。一応、少女ロボットなのですが、そのお顔は美人とは言い難いものでした。このロボメロは「ロボコン王子様」と言って、これまたロボコンを慕っておりました。傘を使って空を飛ぶことから、どうやらモチーフはメリー・ポピンズだった可能性が高いのですが、このことに大人になってから気がついた時、私はあまりの落差に唖然としたのを覚えております。なおロボメロはメロメロと涙を流す癖もあり、バケツ一杯分の涙を流しておりました。

大山家も小川家も普通のサラリーマンなのに、ロボコンが良かれと思って行なった暴走行為の被害に遭うのは大人になった今は「実にかわいそうだなあ」と思うわけですが、本放送当時の私は幼稚園に通っていたので「ロボコンが善意で行なっているのになんで怒るのかなあ」と呑気に思っていました。余談ですが、大山まことを演じた福田信義さんは私と同い年でしたが、当時はそんなことなど知らずに見ていました。大山家は当初は東映の大泉撮影所にも近い一般住宅を借りてロケが行なわれていましたが、番組の人気が上がるにつれてロケ地のお宅に近所の子供達が群がるようになってしまい、やむなくママの大山初江が第51話から美容院を開店してスタジオ内に引っ越す羽目になりました。また放送も延長に延長を重ねたためか、第72話で北海道へ転勤し、第73話からは小川家でロボコンは働くことになりました。なお偶然なのか、大山家も小川家もママは声優もやっている人の顔出し出演です。

ロボコンの苦手なものはゴキブリでおもちゃを見ただけでも動揺し、大暴れします。ゴキブリが登場した時のBGMは定番のものが用意されており、これも楽しかったですが、その分、大山家や小川家が壊される被害も頻発しました。空を飛んでいる時にゴキブリを見つけて大騒ぎしたことさえあります。ゴキブリは羽を持っているから空を飛べると言えば飛べるのでしょうが、あんな空高く飛ぶのは無理がある気もします(笑)。

そんなロボコンにも理解者はいます。大山家や小川家の子供達と近所の交番に勤める町田巡査です。町田巡査はロボコンが子供達を助けるのを見て「ロボコン君に警視総監賞贈呈を進言します。」というようなことをよく言ってました。なお由利徹さんは出番のかなり前にはスタジオ入りして臨んでいたそうです。町田巡査が勤める交番も当初は練馬区に実在する交番(現在は移転しています)が使われていましたが、おそらく大山家と同じ問題が起きたのでしょう、これまた東映の大泉撮影所内の交番に勤務するようになってしまいました。

ロボコン最後の場面の定番といえばガンツ先生による採点でしょう。「ローボコン0点」というセリフが有名ですが、実際はマイナスの点数をとったり、ごく稀にロボコンが100点をとってハートマークを獲得したことがありました。その次の話ではロボコンがハートマークを2つつけてお買い物に出かけている場面が映りましたが、その話で当然大失敗して程なく1つに戻ってしまったのでした。で採点の理由はまともなものから、採点中に地震が起きてしまったのでガンツ先生の採点装置が異常な動きをしてしまう、というような理不尽なものまであまたあります。脚本を書いた人は「たまにはロボコンに100点をあげようよ」と何度も言ったそうですが、平山亨はその意見を何度も却下したのです。その方が面白いからに決まっています。

さて上原正三は半分近くの56話くらいを書いています。連続して上原が書いた話が続くことも多かったです。音楽担当は菊池俊輔。なおアクションは「人造人間キカイダー」を担当していた三島剣友会が担当していたのでした。

これだけ長く続いた「がんばれ!!ロボコン」でしたが、制作局のNETがテレビ朝日に名前を変えるのに合わせて終了したのでした。後番組は「ロボット110番」でしたが、ロボコンほど長く続かず、9ヶ月で打ち切られてしまったのでした。「ロボット110番」は子供心にいまいちだった記憶が残っています。

なおロボコンの主題歌は途中で変わったため2つありますが、2つ目の方はその一部分が「チコちゃんに叱られる!」のエンディングにチコっとだけ使われています。ボーっと生きているとわからないかもしれませんね。

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ゲッターロボ

はじめに

この記事では上原正三東映動画(現東映アニメーション)で手がけた「ゲッターロボ」について取り上げます。

ドロロンえん魔くん」への参加

上原正三が「ロボット刑事」の脚本を書いていたのは以前書きましたが、その後番組は東映動画が手がけた「ドロロンえん魔くん」でした。フジテレビのプロデューサーは別所孝治でしたから、その縁で上原も「ドロロンえん魔くん」に参加しました。もっともこの時点ではサブライターで全26話中6本のみ。メインライターは辻真先でした。余談ですが辻真先は山手線の車内で一周している間に脚本を1本書き上げたと平山亨が著書で書いているほど執筆時間は速かったため多作で、本当に色々な番組を担当しています。「サイボーグ009」では第1シリーズも第2シリーズも担当しています。

ゲッターロボ

さて「ドロロンえん魔くん」の後番組が1974年4月4日に放送を開始した「ゲッターロボ」です。「ドロロンえん魔くん」は永井豪原作でしたが、当時は日曜夜7時台放送の「マジンガーZ」は終盤に差し掛かろうとしている頃で、ロボットアニメが流行っていました。そのため「ドロロンえん魔くん」の後番組もロボットアニメという事になり、さらには変身ものの要素を加えて「ゲッターロボ」が作られることになったのでした。なお当初は3人が合体して1台になる案を東映動画は考案したそうですが、スポンサーのポピーがロボットを3体出した方が売れるのではないかと言い出した事により、3機の戦闘機が合体順を変えて合体する事により3つのロボットになる、というものになったのでした。

戦闘機が3機と書きましたが、主人公は流竜馬、神隼人、巴武蔵の3人。それぞれイーグル号と空陸戦に向いたゲッター1、ジャガー号と陸戦に向いたゲッター2、ベアー号と海中や悪路に向き怪力なゲッター3を操縦します。3つの形態を持つと強力に思えるかもしれませんが、マジンガーZと比べるとさほど武器は持っていませんでした。ゲッター1はゲッタービームとゲッタートマホークのみ。ゲッター2は左手がドリルで右手がペンチ。ただゲッター2は高速で走ることが可能でそれを利用したゲッタービジョンという分身幻惑技も使えます。そしてゲッター3に至っては怪力とゲッターミサイルのみでした。こうなったのは元々開発者の早乙女博士が宇宙開発用に作ったものだったからです。なので戦況に応じて各形態を使い分けるのが定番で例えばゲッター1の時に苦戦していると隼人は「竜(りょう)、俺に任せろ。」と言い、竜が「オープンゲット」と叫んで分離し、ゲッター2に再合体するという感じで戦闘が進んでいきました。ただ合体の仕方はかなり強引で金属製であるはずのゲットマシンがむくむくと変形して合体が完了するため、おもちゃは合体前のゲットマシンと、合体後のロボットがそれぞれ売られていました。「合体順を変えて」合体するということは実は6通りの形態が可能な気もしますが、それだと複雑すぎるからか、それとも制作者が単に気がつかなかっただけなのか、おそらく後者だと思いますが、3つの形態のみになっています。

敵は恐竜帝国で彼らは太古、地球を支配していました。しかしゲッター線という宇宙線に弱く、そのため地中に逃れていたのでした。その彼らが再度地上への進出を狙うのをゲッターロボが阻止するというのが大まかな流れです。恐竜帝国はメカザウルスを使ってゲッターロボと戦っていました。ボスは帝王ゴール…のはずでしたが、中盤でさらにその上に大魔神ユラーがいたことが明らかになり、途中からは中間管理職の様相を呈するようになりました。さらに幹部は戦闘指揮担当のバット将軍とメカザウルスなどの開発担当のガレリィ長官がいますが、この二人は仲が悪く、作戦が失敗に終わった時は責任の擦り合いをしておりました。これはゴールの頭痛の種だったことでしょう。

さて開発者の早乙女博士は元々ゲッターロボを宇宙開発のために開発していました。科学者らしく白衣を着てはいますが、下駄を愛用しています。また平和主義者なためかゲッターチームで諍いが起きると「今は喧嘩している時ではない。まず問題解決が先だ。」というようなことよく言って諭していました。またかなり活動的な人物でもあり、ゲットマシンや支援機であるコマンドマシンに乗ろうとしたことがありましたが、二度とも武蔵に阻止されています。早乙女博士には子供が3人おり、長兄が達人で元々は彼と早乙女研究所所員2名がゲッターロボの操縦者でした。ですが、第1話で実験用ゲッターロボのテスト中に恐竜帝国が送り込んだ先兵メカザウルス・サキに襲われて実験用ゲッターロボごと残りの所員共々戦死します。達人は浅間学園のサッカー部の指導も行なっていたため、その場に居合わせた竜が武蔵と隼人を勧誘してゲッターチームが結成されたのです。達人の妹がミチルで彼女は高校生です。そして竜達と同じ浅間学園に通っていました。ミチルの弟が元気で彼は小学生。「マジンガーZ」でいうところの兜シローのようなポジションだと思えば良いでしょう。

さて上原は「ゲッターロボ」ではメインに昇格。全51話中半分強の27話を書いています。第1話では実験用ゲッターロボが3形態に変化する様子を描いたり、ゲッター1がサキを倒したところでメカザウルス・ザイ、メカザウルス・バド、メカザウルス・ズーに取り囲まれてしまい、ピンチに陥ったところで終わりとなります。この展開は巧みですね。やはり上原は一度に複数の敵を出すのが好きなのです。元は円谷一の発案だったのですが、この面白い展開を後の話でも使っているのです。続く第2話冒頭では巴武蔵の爬虫類嫌いが発動してゲッター1の合体が解けてしまい、ゲッターチームは退散。隼人が武蔵をトカゲなどの爬虫類だらけの部屋に閉じ込めるという荒療治で武蔵の爬虫類嫌いはなんとか治癒され、最後はゲッター1、ゲッター2、そしてゲッター3がそれぞれ1体ずつメカザウルスを倒しておしまいです。2話をかけて3体のロボットの特徴を上原は見事に表現したのです。上原は第1話から第4話までを連続して書き上げ、物語の設定を見事に固めました。

それにしても1974年4月の時点では、このブログで取り上げただけでも「ゲッターロボ」の他に「イナズマンF」、「電人ザボーガー」を書いており、いずれもメインライターを務めてハイペースで書いています。本当に多作です。以後もこのペースで書いており、「電人ザボーガー」は途中で抜け、「イナズマンF」も半年で終わるものの10月からは「がんばれ!!ロボコン」が始まり、これもハイペースで書いています。この多作ぶりは驚くばかりです。

閑話休題。「ゲッターロボ」最終回も上原正三が書いていますが、こちらは前後編です。恐竜帝国の拠点のマシンランドを帝王ゴールはついに失ってしまいますが、大魔神ユラーは無敵戦艦ダイを与えます。その大きさはゲッターロボよりも遥かに巨大でメカザウルスを何体も収容できる他に戦闘機を多数発進させることができます。さらには首長竜のような首が複数あり、戦闘機はこの中から発進していました。ゲッターロボがかなう相手とは思えません。ですが、最終的には無敵戦艦ダイの登場は恐竜帝国全滅の始まりでもあったのです。早乙女博士は戦闘機の発進口にもなっている首に着目し、これにゲットマシンに搭載した合体式巨大ミサイルで内部を突く攻撃を発案します。一応訓練は行なわれましたが、本番では武蔵の操縦ミスでミサイルの合体は失敗。恐竜帝国の返り討ちにあってゲットマシンも大破してしまい、竜と隼人は重傷を負ってベッドに寝る羽目に陥りました。早乙女博士は今度はコマンドマシンにミサイルを積んで出撃しようとしましたが、それを武蔵が阻止。武蔵は無線で「必ず帰還する」と誓って出撃したのですが、恐竜帝国の攻撃により、ミサイル分離装置が故障してしまいました。それを知った武蔵はそのまま内部に突撃して爆発。これにより無敵戦艦ダイは暴走し、恐竜帝国のゴールや大魔神ユラーやガレリィ長官ら恐竜帝国の面々を踏み潰し、かくして恐竜帝国は全滅したのでした。

さて武蔵は原作漫画でも死亡しますが、漫画の描写はアニメ作品とは違うそうです。ですが、私は原作漫画を一切読んでいないので「違うそうです」としか書けません。伝え聞く話ではアニメでは竜も戦死させる案が永井豪からあがったようですが、流石に悲惨すぎるため、フジテレビが反対して武蔵のみが戦死することになったようです。

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イナズマン・イナズマンF

はじめに

この記事では「鉄人タイガーセブン」より少し後に上原正三東映で手がけた「イナズマン」と「イナズマンF」を取り上げます。

イナズマン

イナズマン」は石ノ森章太郎が書いた漫画「少年同盟」を元に企画された作品で超能力を持った少年少女が所属する少年同盟の指導者キャプテン・サラー(室田日出男)によって超能力を覚醒された青年渡五郎が少年同盟とともに帝王バンバ率いるファントム軍団と戦う物語です。初期のメインシナリオライター東映作品ではお馴染みの伊上勝でアクションを担当したのは大野剣友会です。渡五郎は初め「剛力将来」と叫んでサナギマンになり、エネルギーを蓄え、その後、「超力将来」と叫んでイナズマンに変身するという二段変身となっていました。デザインのモチーフは蝶で「ちょう能力」から連想されたようです。ただ、この作品で少年同盟の人達は全員超能力を持っているはずなのですが、劇中ではそれを使う場面は皆無で単に雑魚キャラが増えただけだったような気がします。これは石ノ森章太郎が書いた原作漫画「イナズマン」とは大きく違うところで、漫画では主人公以外のメンバーも変身するものがいますし、主人公はいきなりイナズマンに変身するのでサナギマンになるのは心臓を撃たれたために傷を癒すためになっただけ、つまり、たったの一回です。なお原作漫画ではキャプテンサラーはバンバの兄で、バンバはサラーに嫉妬して悪事を働いていたという設定でした。またサラーとバンバも老人で、これもテレビ番組と違うところです。なおサナギマンとイナズマンスーツアクター大野剣友会の中村文弥でした。

またイナズマンはキャプテンサラーからライジンゴーという特殊戦闘車を与えられます。ライジンゴーは空を飛べるほか、「イナズマンF」では水中を潜航したり地中に潜ったりしていました。前の半分はワニのような口がついており、噛みつき攻撃も行なっていました。口を開けて砲撃も行なっていました。ライジンゴーのおもちゃはポピーから発売されましたが、これは売れに売れ、「イナズマン」の続編「イナズマンF」に繋がったのもこのためです。

さて上原正三が「イナズマン」に参加したのは第17話。初期から書いていた高久進とともに番組を支えました。

イナズマンF

まあライジンゴーは好評でしたが番組の人気が高かったとは言い難かったようです。サナギマンの時は怪力頼りの戦いしかできず、雑兵にさえフルボッコされる始末で正直強くはなかったです。「サナギマンは待つ。イナズマンに成長する時が来るのを、ひたすら待ち続けるのだ!」というナレーションの通り、待っている状態なので仕方がありませんが。またイナズマンもライダーキックのように印象に残る決め技がなかったように思います。

メインのプロデューサーは平山亨になっていますが他にも番組を抱えていたため、実際には井上雅央がプロデューサーとしての実務を取り仕切っていました。ですが井上が離れることになったため、平山は加藤貢プロデューサーに実務を任せることになりました。こうして制作されたのが「イナズマンF」です。1974年4月9日からNET(今のテレビ朝日)系列で放送が開始されました。

加藤は上原正三、監督の塚田正煕、助監督だった長石多可男らと話し合い、番組強化のため、設定を刷新しました。まず少年同盟と渡五郎の悪友丸目豪作は「イナズマン」最終話で退場させ、代わりにインターポール捜査官の荒井誠(上野山功一)を登場させました。この荒井は非常に有能な男でイナズマンの危機を初回から何度も救っています。次に「イナズマン」の最終回でイナズマンは超能力増幅装置ゼーバーを作り上げ、パワーアップを果します。ゼーバーには逆転能力増幅機能(赤いレンズ)、透視能力増幅機能(黄色いレンズ)、テレポーテーション増幅機能(青いレンズ)を持つ他に、稲妻状の2本の突起を立てて敵に雷を落とす「ゼーバーイナズマンフラッシュ」という技を放つ機能がありました。この技で倒された敵が実に多かったです。またサナギマンでいる時間は超能力が向上したという設定により短くなり、話によってはサナギマンになった直後にイナズマンになるようになりました。ただサナギマンの設定が完全に消滅したわけではありません。

敵は帝王バンバ率いるファントム軍団からガイゼル総統率いるデスパー軍団になりました。デスパー軍団の幹部ウデスパーは「イナズマン」第24話から登場し、ファントム軍団の兵士を裏切らせ、弱体化させます。このウデスパーも強敵で、「帝王バンバはデスパー軍団の一部隊長に過ぎない」と豪語するほどです。そしてガイゼル総統は子供心に恐かったです。演じるのは安藤三男。顔は白一色で右目は潰れています。服は黒一色で黒い帽子もかぶっています。性格は冷酷非道な独裁者そのもの。ただし目をかけた者は許す包容力も持ってはいました。

ウデスパーは第7話で倒されましたが、その破片からウデスパーαとウデスパーβが作られました。この二人も強敵でしたが、第10話の最後に、この二人を合体させて作られた合体ウデスパーはさらに強力でした。初戦ではイナズマンを終始圧倒し、後一歩のところまで追い詰めましたが、オーバーヒートを起こしたため撤退を余儀なくされます。一度分離され、後に再合体手術が行なわれて再登場しましたが、第13話で弱点をイナズマンに見抜かれて倒されてしまいました。

さて「イナズマン」と「イナズマンF」はテレビ朝日で何度も再放送されました。なので私はどちらも観たことがありますが、やはり「イナズマンF」の方が面白かったです。敵も味方も魅力的なキャラクターばかりだったからです。ただファンの人がよく話題にするデスパーシティー(ガイゼル総統の超能力で地下に作られた巨大人工都市)はあまり覚えていませんでした。どちらかというとイナズマンライジンゴー、荒井誠の活躍やガイゼル総統率いるデスパー軍団との戦いの方に興味が行っていました。上原正三は第1話から最終話まで、全23話中12話を単独で執筆しています。なおデスパーシティーのモチーフは、かつて上原が「ウルトラセブン」で描いた第四惑星のそれをイメージしていたようです。荒井はかつて妻子とともにデスパーシティーに閉じ込められており、サイボーグに改造された後にデスパーシティーから妻子とともに逃亡を図るものの失敗し、自分だけが地上に逃れた過去があります。当初、荒井はその記憶を失っていたのですが、最終回で妻子の救出に成功します。

加藤貢プロデューサーは本当にやりたい放題やっており、楢岡八郎というペンネームで(共作ながら)脚本を2本書いています。そのうちの一本はギロチンを武器にするギロチンデスパーが登場する話で、サナギマンも傷つく展開は子供心に「やりすぎだなあ」と思った記憶が残っています。プロデューサーが暴走していたわけですから、他の作品も推してしるべしでしょう。ただし、当然のことながら、子供の頃は加藤貢プロデューサーが脚本まで書いていたことなど知りませんでした。

最終回は当初は「さらばガイゼル イナズマン最期の日」という題で荒井は妻子とともに死亡し、イナズマンはガイゼル総統を倒すものの、渡五郎はイナズマンへの変身能力を失い、最後は東映まんがまつりの「イナズマン」のポスターを何の感慨もなく見た後、雑踏の中へ去っていく、という話でした。ところが流石にこれには待ったがかかったようで結局「さらばイナズマン ガイゼル最期の日」になりました。この最終回には加藤貢プロデューサーは通行人役で妻とともに出演し、エンディングを歌った水木一郎もゲスト出演しています。ガイゼル総統は生身の人間のはずなのにイナズマンと互角の勝負を繰り広げました。それもそのはず、彼は強力な超能力を持つ男だったのです。最期は潰れていた右目をつかれて弱体化し、パンチでトドメをさされました。ゼーバーイナズマンフラッシュで倒されたわけではないのが若干意外ですが、こうして物語は終わり、荒井の娘は自然の太陽を拝むことができたのでした。

まあ私は普通に楽しんで見ていたので「イナズマンF」がカルトな人気を持つのは若干不思議な気もしますが、スタッフは後に「仮面ライダーアマゾン」に移行し、今度は緩急自在な物語を繰り広げることになったのでした。それについては後に触れましょう。

鉄人タイガーセブン・電人ザボーガー -上原正三のピー・プロダクションでの仕事 -

はじめに

この記事ではピー・プロダクション上原正三が参加した「鉄人タイガーセブン」と「電人ザボーガー」を取り上げます。

ピー・プロダクション

ピー・プロダクションは1960年7月に漫画家のうしおそうじこと鷺巣富雄が設立した会社です。当初はアニメーション番組を制作していましたが、1966年7月4日にフジテレビ系列で放送開始の「マグマ大使」を皮切りに特撮番組の制作も始めました。元々アニメーションを制作していたからか、光学合成の代わりにアニメーションを多用しているのが特徴です。渡辺善夫が描いた精緻なマット画の多用も印象深いです。

うしおは漫画家になる前は東宝に所属して円谷英二に師事していました。「円谷特技プロダクション」の設立時には英二に請われて発起人として名前を連ねていた過去がありました。そのため、元々特撮にも興味があったのです。

風雲ライオン丸」の失敗

さて「ロボット刑事」放送当時の1973年、ピー・プロダクションはフジテレビで「風雲ライオン丸」を制作していました。「風雲ライオン丸」の前番組の「快傑ライオン丸」はヒット作でした。大洋ホエールズシピン選手がライオン丸とあだ名されたくらい流行っていました。その余勢を買って「風雲ライオン丸」が制作されたのでしたが、暗い作風だったのが災し、視聴率は低迷しました。「快傑ライオン丸」は全54話でしたが「風雲ライオン丸」は全25話で制作が終わったのです。余談ですが特撮ファンは脚本の最多執筆数を誇る高際和雄のことをよく話題にします。

「鉄人タイガーセブン」

さてピー・プロダクション制作の番組のフジテレビ側のプロデューサーは別所孝治でした。彼は「風雲ライオン丸」の次回作「鉄人タイガーセブン」のテコ入れのため上原正三藤川桂介を呼び寄せて脚本を書かせました。そのため、第1話から第3話までは上原が脚本を書き、第4話からは藤川が脚本を執筆。以後は上原と藤川が交代で執筆しました。第13話からは高際和雄も参加。以後はこの3人で脚本を執筆していくことになりました。音楽を担当したのは「仮面ライダー」や「ゲッターロボ」も担当した菊池俊輔で、これも別所孝治の意向によるものではないかと私は個人的には思います。

この番組は滝川博士率いる考古学探検隊がサハラ砂漠で発掘した遺跡から蘇ったムー帝国の原人達が日本への侵略を始め、それに滝川博士の息子の滝川剛や亡くなった滝川博士の後を継いだ高井戸博士が率いる高井戸グループがそれに立ち向かうという話です。滝川剛は一度ムー原人に襲われて死にますが、滝川博士の探検隊がミイラ蘇生用に持ってきていた人工心臓を移植されたことにより蘇生します。そして剛は父の形見のペンダントを受け取り、さらには鉄人タイガーセブンに変身する力を得て、ギル太子(声は小林恭治)率いるムー原人を倒していきます。前番組の「快傑ライオン丸」や「風雲ライオン丸」の顔はライオンでしたが、タイガーセブンの顔はトラそのものでした。

さて円谷一が発案した「怪獣無法地帯」のアイデアを上原は流用したのか、第1話「ムー原人 恐怖の大反乱」では砂原人スナウラミ、マグマ原人カエンジン、カッパ原人、ミイラ原人、半魚原人(アマゾンX)、オイル原人、エレキ原人と実に7人のムー原人が登場します。第1話でマグマ原人カエンジンと砂原人スナウラミは倒され、続く第2話でもミイラ原人、オイル原人、半魚原人(アマゾンX)が登場しました。ただ、両話とも複数のムー原人が一度に登場することはありませんでした。人件費の関係もあったのか、一人ずつ別カットで登場したのです。なので「怪獣無法地帯」のような爽快感は得られず、ただたくさん登場しただけに止まっています。私は「鉄人タイガーセブン」の脚本を読んだことはありませんので上原の責任なのか、演出したメイン監督の大塚莞爾の責任なのかは判断できません。ただ、あくまでも個人的な意見ですが、大塚監督のセンスの問題だったと思います。

さて第12話までは上原と藤川が交代で書いたのは既に述べましたが、この二人が脚本を担当した作品は既に暗い作風でした。と言うのは、この作品でムー帝国の存在を知るのは滝川剛と高井戸グループだけで警察も世間の人も高井戸グループの主張を信じなかったからです。よってムー原人の悪事もその場に居合わせた剛や高井戸グループの責任にされることが実に多かったのです。

また予算の関係からかタイガーセブンの必殺武器はファイトグローブという手袋をして繰り出すものになっており、それも人気があまり盛り上がらなかった理由として挙げられます。もっともタイガーヘッドビームという、アニメの合成を使って表現された武器もタイガーセブンは持ってはいますが。

上原が書いた暗い話の最たるものは第15話「ムー帝国大侵略」第16話「ムー帝国への挑戦」でしょう。この話でタイガーセブンはガス原人に襲われて瀕死の男を治療しようとします。タイガーセブンは自分の牙を男の首筋に突き刺すという「タイガーエネルギー注入」という技で男を治療しようとしますが、そこへ男の妹佐山陽子がやってきました。陽子にはタイガーセブンが兄に噛み付いているようにしか見えず、「やめて」と妨害します。それでもタイガーセブンは「噛み付くのをやめなかった」ため、今度はその場にあった果物ナイフでタイガーセブンの肩を突き刺してしまいました。思わずタイガーセブンは口を離してしまい、治療は失敗。男は死亡してしまいます。男がガス原人に襲われたことなど知らない陽子と弟の勝男はタイガーセブンが兄を殺したと誤解し、高井戸グループのメンバーもタイガーセブンの仲間だと非難する始末です。タイガーセブンはなんとかガス原人を倒すことに成功しますが、言葉巧みに騙された勝男の仕業もあってクモ原人の巣に捕まってしまったところで第15話で終わります。ただ幸いにして佐川姉弟の誤解は続く第16話で解けます。勝男はムー帝国に利用された挙句に重傷を負い、タイガーセブンが再度「タイガーエネルギー注入」で勝男を蘇生させたからです。「鉄人タイガーセブン」と言えば最終回を書いた高際和雄の作風ばかりが話題になりがちですが、彼が書く前から既に暗かったのです。

風雲ライオン丸」同様の暗い話が続いた「鉄人タイガーセブン」はさほど人気が出ませんでした。元々制作は1年の予定だったそうですが、別所孝治は半年での打ち切りを決めたのでした。

なお私は「鉄人タイガーセブン」をテレビで見た記憶はありません。あまり再放送はありませんでした。飛龍原人が登場した第9話「死斗!! 飛竜原人対タイガーセブン」(脚本:上原正三、監督:大塚莞爾)だけはテレビ埼玉での放送をチラッと見た記憶がありますが、私の食指は動きませんでした。なので「鉄人タイガーセブン」を見たのはのちに発売されたDVDを購入してからです。

電人ザボーガー

さて上原は「鉄人タイガーセブン」の後番組「電人ザボーガー」も担当することになりました。上原はオープニングとエンディングの歌詞も作詞しました。「電人ザボーガー」は別所孝治の発案で、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」上映により流行っていった空手アクションや、これまた当時流行っていたロボットアニメの要素を取り入れた、明るいものとなりました。上原が「鉄人タイガーセブン」の最終回を書かなかったのは「電人ザボーガー」の準備のためだったのかもしれません。

なお大筋はこうです。秘密刑事としての訓練を終えて帰国したばかりの大門豊(山口暁)は、父が亡くなったことを知ります。直後に大門豊は、亡き父、大門博士(細川俊夫)が開発した新エネルギー「ダイモニウム」を狙う犯罪組織Σ(シグマ)団の刺客、アリザイラーに殺害されてしまいました。しかし大門は、少年の頃、父によって埋め込まれていた電極回路の力で蘇りました。そして、電極回路から発する「怒りの電流」で博士が密かに開発したオートバイ、マシーン・ザボーガーから変形して起動するパートナーロボット、電人ザボーガーとともに、大門は父の仇でもあるΣ団とそれを率いる悪之宮博士(岡部健)に対し、敢然と戦いを挑んでいくのです。大門が秘密刑事であることを知るのは新田警部(根上淳)で血気にはやる大門をよく諭していました。他のレギュラーは新田警部の娘美代(星野みどり)と息子の浩(神谷政浩)、新田警部の部下の中野刑事(きくち英一)でした。対するΣ団側は悪之宮博士と部下のミスボーグ(藤山律子)でした。

技斗を担当したのは菊池英一です。実は彼は中野刑事を演じたきくち英一と同一人物で、当初は殺陣師として依頼がきたのですが、彼は顔出しでの出演を要求。結果、中野刑事としても出演することになりました。その代わりギャラは中野刑事として出演した分だけを受け取り、技斗はサービスで行なったのだそうです。サービスだと言ったものの、菊池は一時的にアクションチームを結成し、幹部やスーツアクターの配役も行ないました。その関係からか遠矢隆信や尾崎孝二、君塚正純など、彼が以前所属していたJFA(当時は既に解散していました)のメンバーが多数出演しています。JFAピー・プロダクションが以前制作した「マグマ大使」「スペクトルマン」「快傑ライオン丸」も担当していましたから、その関係で菊池に殺陣師として依頼が来たのだと思います。余談ですが、菊池は「帰ってきたウルトラマン」でも顔出しレギュラー出演を要望したそうですが、数回顔出ししただけで終わりました。ただ特撮撮影が過酷であまり時間が取れなかったためか、あれで良かった、と言っています。

電人ザボーガー」でも上原正三の作風はぶれませんでした。主人公が一度死に、父の敵と戦うのは「鉄人タイガーセブン」と似ています。また第2話と第3話ではΣ団の幹部が海外から一度に7人も日本支部に集結し、一堂に会します。「鉄人タイガーセブン」ではムー原人が7人登場する話を書いたものの一度に複数登場する場面は実現しませんでしたが、これに懲りたのか、それともそこまで深く考えてはいなかったのかまでは定かではありませんが。また第1話から第4話までと第12話から第15話まで、そして第19話を書いています。第19話「キリマンジャロの赤い豹」では「ウルトラセブン」の「700キロを突っ走れ」で書いた、主人公と仲間(「電人ザボーガー」では大門と中野、「ウルトラセブン」ではダンとアマギ)が運んでいたのは実は偽物で囮だった、という話を書いています。

電人ザボーガー」は「鉄人タイガーセブン」と違ってヒットしました。上原は第19話を最後に降板しましたが、番組はその後、ブルガンダーのようなトラックや自動車を改造したロボットが登場したり、大門を敵視する秋月玄が登場するなど、盛り上がりました。ただ模様替えして敵をΣ団から変更した第4クールの恐竜軍団編はあまり盛り上がらず、次作は製作されませんでした。「電人ザボーガー」は何度も再放送されましたが、なぜかΣ団の話だけで終わることが多かったように思います。

adventar.org

帰ってきたウルトラマン・ウルトラマンA

はじめに

この記事では第2期ウルトラシリーズの作品を取り上げます。

帰ってきたウルトラマン

番組開始までの流れ

白石雅彦著「「怪奇大作戦」の挑戦」では「怪奇大作戦」終了後の円谷プロの事情にも触れていますので簡単に紹介しましょう。

怪奇大作戦」の後番組「妖術武芸帳」が惨敗に終わったのは既に記述していますが、その後番組の企画は円谷プロにも依頼がされていたようです。1969年4月28日に印刷された「特撮怪獣シリーズ 続ウルトラマン」という企画書が存在します。しかし、この頃は怪獣ブームが沈静化していた時期だったため、この企画が実現することはありませんでした。そして「柔道一直線」の大ヒットも影響したのでしょう。面白いことにこの頃は「ミラーマン」の企画書もフジテレビに提出されています。映像化には至りませんでしたが、小学館の「よいこ」「小学一年生」「小学二年生」「小学三年生」で漫画が連載されています。ただこの当時のミラーマンのデザインは後に映像化されたものとは大きく違っておりました。2006年に発売された特撮ビデオ「ミラーマンREFLEX」に近いものになっていました。

ただ1969年7月、フジテレビの依頼で「恐怖劇場アンバランス」の制作が決まりました。この作品には上原正三市川森一も参加しています。また後に市川が「仮面ライダー」のスタッフに紹介した滝沢真理も参加しています。そして市川は「コメットさん」などでも組んだ山際永三監督とも組んでいます。ただ、この番組、制作はされたものの、アダルトホラーな番組はスポンサーがつきにくいなどの理由からお蔵入りになってしまいました。放送されたのはそれから約4年後の1973年ですが、深夜枠だったため、本放送を観た人は少なかったのではないかと思います。

さて「恐怖劇場アンバランス」の制作が進んでいた8月、円谷英二がついに倒れます。糖尿病や高血圧を患っていたのですが、鳴門の渦潮を撮影しに行った関西で心臓発作に見舞われたのです。以後、療養生活を余儀なくされ9月からは入院生活に入ります。これを受け、円谷一は11月30日付でTBSを依願退職し、円谷プロの専務取締役に就きました。父の後を継ぐためです。そして翌年の1970年1月25日、円谷英二気管支喘息の発作に伴う狭心症により死去しました。よって以後は円谷一円谷プロ代表取締役となり、円谷プロは新体制となりました。

ただ明るい材料がありました。1969年4月から日本テレビが再放送した「ウルトラマン」が再放送にもかかわらず平均視聴率18%を記録したのです。つまり、ウルトラシリーズの需要があることが証明された格好になりました。1970年にはフジテレビにも「ウルトラマン」を再放送していますが、これも高視聴率をとったそうです。ここで円谷一は「ウルトラファイト」を企画し、9月28日から放送が始まりました。この番組は「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」から格闘シーンを抜き焼きしてTBSの山田二郎アナウンサー(当時)が実況中継するという内容でしたが、それだけではさほど制作本数が稼げないため、怪獣倉庫に保管されていた着ぐるみを使った新撮シーンも制作されました。これはマスコミからは「出がらし商法」と酷評されましたが、子供達には好評でした。怪獣ブームは沈静化したのですが、完全に消え去ったわけではなかったのです。

この流れに乗って作成された企画書が「怪獣特撮シリーズ 帰ってきたウルトラマン」でした。印刷されたのは1970年9月5日。円谷一と橋本洋二との間で進められたものでした。この企画では橋本の要請を受け、「前作にありがちだったモンスターもののパターンからの脱却」「その為のドラマ性の強化」「制作現場の合理化によるスピードアップとローコスト化」が謳われています。こうして1971年2月2日、「帰ってきたウルトラマン」が放送開始されたのでした。放送枠は毎週金曜日19:00 - 19:30でした。当時「柔道一直線」の放送は続いていたため、そのことも関係してかつての放送枠である毎週日曜日19:00 - 19:30の枠は確保できなかったのでしょう。ただこの枠もゴールデンの人気枠でした。制作費は380万円。かつてのウルトラシリーズが538万円だったことを考えると、かなり無理をしているのが伺えますが、このダンピングも功を奏したのでしょう。なお、実際の金額はどうだったまでは知りません。

放送開始

こうして「帰ってきたウルトラマン」は放送を開始しました。メインシナリオライター上原正三。上原は第1話から第7話までを独りで書き上げ、第17話まで17本中13本を執筆しています。金城哲夫が書いた「ウルトラマン」との差別化を図るため、上原と橋本は「帰ってきたウルトラマン」ではスポ根ものの要素も取り入れました。ウルトラマンに変身する郷秀樹はハヤタとは違って未熟で第2話では「よし、ウルトラマンになってやる」と思い上がった結果、ウルトラマンにはなれず、自分が精一杯頑張らないといけないのだ、ということを思い知ります。またハヤタは彼の家族構成は細かく設定されていませんでしたが、郷と坂田兄妹(岸田森演じる健、榊原るみ演じるアキ、そして川口英樹演じる次郎)との交流も描かれました。坂田健は郷の兄貴分というよりはMATの加藤隊長(演じたのは塚本信夫)同様父親代わりのような存在で、アキは郷の恋人、そして次郎は郷の弟代わりのような存在でした。MATでも人間ドラマが強化され、加藤隊長の他、郷のミスを庇う南隊員(池田駿介)、郷と対立する(もっとも第11話の事件をきっかけに和解しますが)岸田隊員(西田健)、郷とほぼ同格の上野隊員(三井恒)、そして男性顔負けの武術の腕を持つ丘隊員(桂木美加)、さらには加藤隊長の後任の伊吹隊長(根上淳)が登場しました。

さて怪獣の描き方も力が入っていました。第1話ではタッコング、ザザーン、アーストロンと3頭の怪獣が登場しました。これは円谷一の意向もあったのでしょうが、上原も怪獣を複数出すのが好きだったのでしょう。第3話でもサドラとデッドンが登場し、ウルトラマンは2頭を相手に戦います。「ウルトラマン」では複数の怪獣と戦うことはありませんでした。ウルトラマンを演じたのは菊池英一。怪獣を主に演じたのは遠矢孝信。怪獣や宇宙人が複数登場するときは当時菊池と遠矢が所属していたJFAのメンバーが演じました。アクションは菊池と遠矢が相談して決めていたそうです。菊池はミニトラも導入してウルトラマンがジャンプしたりするシーンも演じています。遠矢も4本足の怪獣では後ろ足を曲げずに演技するなど冴えたアクションを見せています。

第5話「二大怪獣 東京を襲撃」第6話「決戦! 怪獣対マット」

この頃の怪獣の特徴として強力な怪獣が多数登場したこともあげられます。第4話に登場したキングザウルス3世は初戦でウルトラマンを倒してしまいました。郷はウルトラマンが勝てないなら自分が強くなろうと考えて思い出の地で特訓し、流星キックを会得します。そしてウルトラマンは流星キックでキングザウルス3世のツノを折り、勝利します。続く第5話と第6話ではツインテールグドンが登場。2体とも強力な怪獣でウルトラマンは西新宿で敗れ、アキは重傷をおってしまいます。MATは岸田長官(岸田隊員のオジ)にスパイナーという強力爆弾の使用を迫られます。スパイナーは強力な爆弾ですが、東京で使えば東京が丸ごと焦土とかするとんでもない爆弾でした。上原は東京をあっと一歩で滅ぼしかねない話を堂々と書いたのです。当然、東京都民には避難命令が出されるのですが、坂田健は東京大空襲の体験を加藤隊長に話し、それでも私は重傷のアキを置いて避難する事はできない、だから残る、と宣言します。この話を演出した富田義治は、この場面で原爆投下直後の広島の写真を挿入し、坂田健の心情を強調しています。これに奮起した加藤隊長をはじめとするMATの面々はスパイナーを使わずにツインテールグドンと戦闘を開始。またもウルトラマンは苦戦しますが、MATがツインテールの両目を潰して援護したことがきっかけでツインテールグドンに倒され、ウルトラマングドンを倒し、事件は解決しました。なお富田は東映所属の監督。円谷プロ東宝系列の制作会社でしたが、橋本洋二の要望により参加することになったそうです。富田は「柔道一直線」で上原と組んだこともあり、その活躍が認められたのです。そして面白いことに、この話は後に東宝チャンピオン祭りで上映されました。東映の監督が制作した話が東宝系列の映画館で上映されたのです。

第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」第14話「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」

さてこれに味をしめたのかどうかはわかりませんが、上原はさらに強力な怪獣を登場させました。それがシーゴラスとシーモンスです。これは雄と雌の夫婦怪獣でシーゴラスは二本足で歩き、シーモンスは4本足で歩きます。この話は最初から東宝チャンピオン祭りで上映されることが決まっていたため、予算も潤沢でした。なのでシーゴラスが起こす津波やらシーゴラスとシーモンスが起こす竜巻といった「天と地の怒り」が描かれ、ウルトラマンやMATは苦戦します。この話ではシーモンスは産卵のため晴海の埋立地にいついてしまい、またも東京は怪獣に占拠されてしまいました。MATはレーザーガンSP-70を開発。シーゴラスとシーモンスに苦戦するウルトラマンを援護し、シーゴラスのツノを破壊することに成功します。2頭はツノを使って竜巻を起こしていたので、これで「天と地の怒り」は発生しなくなり、2頭はほうほうの体で東京から逃げ去ります。おんや。シーゴラスもシーモンスも負傷はしましたが倒されていませんね。ですが、東京の危機は去ったため、物語は無事解決したわけです。なお、この話も富田義治が監督を務めています。特殊技術は佐川和夫で(一部、東宝映画からの流用がありますが)津波ウルトラマンがバリヤで押し返したり竜巻の場面などを巧みに表現しています。

市川森一参上

とまあ、上原主導で脚本が書かれていきましたが、「帰ってきたウルトラマン」の視聴率は初回こそ26.4%を記録したものの徐々に低下していき、第15話「怪獣少年の復讐」(脚本:田口成光、監督:山際永三、特殊技術:高野宏一)では番組最低視聴率の14.3%を記録しています。こうなったのは明白で予算を抑えるために怪獣が出現する舞台をビルなどの建物を用意する必要がある都市部ではなく、山奥や空き地、埋立地と行ったところにしてしまったのです。また、これは上原の責任とは言い切れませんが、強力な怪獣の出現により必然的にウルトラマンが敗れることが多くなってしまい、ウルトラマンがヒーローとしては弱く映ってしまったのもマイナス要因として挙げられるでしょう。このため、橋本洋二は強化策として第18話で市川森一を参加させました。市川は「帰ってきたウルトラマン」のスポ根ドラマやホームドラマには批判的で橋本のテーマ主義にも批判的でした。ですが皮肉にもこれが市川のテーマになっていました。それを橋本は強かに利用したのです。市川が初参戦した第18話「ウルトラセブン参上!」(監督:鍛冶昇、特殊技術:佐川和夫)では坂田兄妹は登場しません。MATの宇宙ステーションが丸ごと宇宙怪獣ベムスターに飲み込まれ、加藤隊長が親友でもあった梶キャプテン(演じたのはクラタ隊長も演じた南廣)の復讐に燃えます。ウルトラマンスペシウム光線ベムスターに吸収されて敗れ、太陽へと飛びます。そしてこう叫びます。

「太陽、この私をもっと強くしてくれ。お前がお前の子である地球を愛しているなら、この私にベムスターと互角に戦える力を与えてくれ!」

市川はスポ根路線も否定し、郷やウルトラマンに特訓などさせませんでした。ところがウルトラマンは太陽に近づきすぎ、太陽の引力にとらわれてしまいました。このままでは流石のウルトラマンも焼死してしまいます。その危機を救うために参上したのがウルトラセブンでした。セブンはウルトラマンを救うとウルトラブレスレットを渡します。

お前にこれを授けよう。ウルトラブレスレットだ!! これさえ身につけておけば、いかなる宇宙怪獣とも互角に戦えるだろう。さあ地球に戻るのだウルトラマン!

そして地球に戻ったウルトラマンベムスターに撃墜された加藤隊長を救います。思わず加藤隊長はこう言います。

ウルトラマンが帰ってきた。

そしてウルトラマンベムスターをウルトラブレスレットで倒したのでした。余談ですが、この話を観た金城哲夫は「太陽の子であるウルトラマンが太陽に殺されかかるとは何事だ!」と憤慨し、市川に電話をかけてきたそうです。

 

閑話休題。市川の参加により「帰ってきたウルトラマン」の作風の幅は広がりました。かつて実相寺昭雄は「ウルトラマン」で飯島敏宏や円谷一が直球を投げたから自分が変化球で勝負できたと話していますが、それと同じ作用が働いたのです。上原と橋本が打ち出したスポ根ドラマとホームドラマを市川が否定する。当然、上原は刺激を受けてそれに対抗する。市川が書いたのは6本だけですが、ウルトラブレスレットの登場や加藤隊長と伊吹隊長の交代劇など重要な話も書いています。この上原と市川の戦い(ただし二人は仲良しであくまでも作風が違っただけです)が功を奏し、第23話「暗黒怪獣 星を吐く!」(脚本は石堂淑朗)から常時20%を超えるようになったのでした。

第33話「怪獣使いと少年

こうして「帰ってきたウルトラマン」は制作が進んでいったのですが、ここで一つの事件が起きます。第33話「怪獣使いと少年」(脚本:上原正三、監督:東條昭平、特殊技術:大木淳)が問題作となってしまったのです。この話は怪獣ムルチからメイツ星人に救われた少年が宇宙人と疑いをかけられ、襲来した暴徒がメイツ星人を殺害し、結果、ムルチが再び暴れる、という話です。これは差別をテーマにした話ですが、東條昭平の過激な演出が問題視されたのです。私は脚本を読んだことがありますが、上原が書いた脚本は実際の映像よりも抑えた感じで書かれています。映像ではMATの隊員で姿が映るのは郷と伊吹隊長だけですが、脚本では普通に全員登場します。また映像では伊吹隊長は托鉢僧の姿になってムルチとの戦いを放棄しようとした郷を叱咤しますが、脚本では托鉢僧の姿になどなりません。東條昭平がああいう風に変えてしまったのです。最初に制作された映像はさらに過激でメイツ星人は暴徒の竹槍に刺されて死ぬなど、なんの救いもない話でした。流石の橋本洋二もこの話は受け取れないと再撮影を円谷プロに依頼せざるを得なくなりました。

ただ橋本はこういう脚本であることは事前に知ってはいました。それは橋本と上原とで予め打ち合わせがされていたからです。橋本は上原を庇いましたがTBS側はこの作品を問題視し、結果、上原も東條も「帰ってきたウルトラマン」を離れざるを得なくなりました。上原が第4クールを書いていないのはそのためでした。その代わり、橋本は「シルバー仮面」に上原を呼んで脚本を書かせています。

第37話「ウルトラマン 夕陽に死す」第38話「ウルトラの星 光る時」第51話「ウルトラ5つの誓い」

降板が決まったものの、上原は「帰ってきたウルトラマン」のメインシナリオライターです。そのため、第3クールの最後と最終回を橋本洋二は上原正三に書かせました。第3クールでは坂田アキと坂田健がナックル星人に殺害されるという衝撃の話が描かれましたが、これは坂田アキを演じる榊原るみのスケジュールの関係です。この頃、榊原は「気になる嫁さん」の主役に抜擢されており、第27話を最後に「帰ってきたウルトラマン」には出演していませんでした。そのため、第28話から第36話までは坂田健と坂田次郎は登場するもののアキは出なかったのです。なお第30話「呪いの骨神 オクスター」の脚本(石堂淑朗作)ではオクスターに遭遇した健と次郎の身を案じたアキがMATの制服を借りてMATの隊員とともに現場に駆けつける場面が描かれていたそうです。

 榊原るみの降板は上原にとっては不本意なものでした。上原は郷とアキが結ばれる結末を思い描いていたそうですが、榊原の降板によって、それは不可能になりました。ならばいっそ殺してしまえとなったのかもしれません。最終回では第38話から登場した郷の隣人村野ルミ子が郷と自分との結婚式を夢想する場面が冒頭で描かれますが、上原の願望が入っていたのではないかと私は思います。なお、「帰ってきたウルトラマン」の最高視聴率は第51話で記録した29.5%でした。

ウルトラマンA

市川森一の迷走と子供向け番組からの飛翔

帰ってきたウルトラマン」は「ウルトラマン」ほどの視聴率は残せなかったものの平均視聴率は20%を超えました。そのため、ウルトラシリーズの次回作が企画されました。メインシナリオライター上原正三から市川森一に交代することになりました。企画を考えたのは市川と上原と田口成光の3人なので必ずしも市川独りで決めたわけではありませんが、市川が「ウルトラマンのようなロマン溢れる作品にしたい」と意気込んでいたためか、次回作「ウルトラA」は数々の新機軸が盛り込まれました。一つ目は男性一人で変身するのではなく、男女合体変身。二つ目はレギュラーの悪役異次元人ヤプールの登場。そして3つ目がウルトラ兄弟の設定です。また「帰ってきたウルトラマン」と違って坂田兄妹、特に坂田次郎のように主人公と絡む少年もレギュラーとして(当初は)設定されませんでした。なお当初は「ウルトラA」という題名で主題歌もそれにそって東京一こと円谷一は作詞したのですが、既にマルサンが「ウルトラA」という名の人形を販売していたことが判明したため、「ウルトラマンA」と改題されました。このことはその後の「ウルトラマンA」の迷走を暗示した出来事だったように思います。北斗星司役は高峰圭二、南夕子役は関かおりに決まりました。

こうしてまず市川森一が第1話「輝け! ウルトラ五兄弟」を執筆しましたが、この第1話も制作開始早々、トラブルに見舞われます。まず南夕子役の関かおりが劇団の稽古中に足を骨折し、出演が不能になり、代役として星光子がつくことになりました。この時、第1話と第2話の撮影はある程度済んでいたため、撮り直しを行うことになりました。次にベロクロンは当初は広島県広島市を襲うことになっており、平和の象徴である原爆ドームを破壊する場面も撮影が済んでいましたが、この設定は変更され、広島県福山市を襲う設定に変えられました。変更された理由は定かではありませんが、私は「原爆ドームを破壊する」ことがネックになったのではないかと個人的には思います。市川の試みは早くも挫折したのです。

また「ウルトラマンA」は「帰ってきたウルトラマン」とは違い、市川森一上原正三、そして田口成光が交代で初期の話を書いていましたが、3人が描く話は三者三様で設定の差異が顕著に現れるというマイナス要素を招きました。市川森一は敬虔なクリスチャンでしたから、ウルトラマンAヤプールの戦いを神と悪魔の戦いになぞらえていました。ウルトラマンAは人間の善の心の象徴でヤプールは人間の悪の心の象徴で、人間の心の歪みをヤプールが利用したりエネルギーにしたりしていたのです。これは第4話「3億年超獣出現!」で顕著に描かれています。ヤプールは漫画家久里虫太郎の美川隊員に対する一方的な愛情を利用して侵略をしているのです。ただこうした市川の考えを上原と田口が理解していたとは言い難く、上原ははっきりと、理解できなかった、と述べています。それでも上原は南夕子が主役の第17話「夏の怪奇シリーズ 怪談 ほたるヶ原の鬼女」や北斗と南の絆を描いた第11話「超獣は10人の女?」を書いていましたが、田口に至っては北斗主役で南は変身する時に北斗のそばにやってくる流れの話ばかりを書いていました。

また市川自身も第1話を書いた時点で「ウルトラマンA」を書く意欲を失ってしまったようです。講談社の「ウルトラマン大全集II」での橋本洋二と上原正三を交えた対談の中で、こう証言しています。

市川  「ウルトラマンA」は第一話を書かせてもらいましたけど、その時点でウルトラマンとしての表現のしかたは、僕の中で終焉が起こっていたんです。「ウルトラマンA」の前に、円谷プロの作品ではないけど「シルバー仮面」があったんです。その作品の企画にこめられた哀愁とメルヘンにほれこんだんです。あの世界は最終回がハッピーエンドじゃなくてもいいんですよ。あれは、ある巨大な正義が、ある家族(筆者注:春日兄妹)を追いつめていく話なんですよ。目に見えないものに追いつめられていく現代人の恐怖をひとつの家族におきかえて描いている。「シルバー仮面」で戦いつくしてしまったんです。その後で「ウルトラマンA」の第1話を書いたんですよ。

要するに市川は一種の燃え尽き症候群に陥ってしまったのでしょう。なので「ウルトラマンA」は迷走を始め、市川自身も作品を書く意欲をますます失ってしまい、第14話「銀河に散った5つの星」を書いた後、一旦、降板してしまいました。なお、この話は第13話「死刑! ウルトラ5兄弟」との前後編になっていましたが、第13話は田口成光が書いています。田口との共作は市川から持ちかけられたそうですが、ゴルゴダ星でウルトラ兄弟が集まり、ウルトラ4兄弟が十字架に磔にされたり、地球で超獣バラバが現れるというのは明らかに市川がイエス・キリストが磔にされた場面を元に発想したものです。おそらく田口は前半の大筋を市川に伝えられて脚本を書いたのでしょう。第13話ではウルトラ兄弟は人間のように話し合い、地球を守るために一人ゴルゴダ星を脱出するのを拒否したウルトラマンAウルトラマンがビンタするという場面が描かれています。最近のインタビューでも田口はこれを「いい場面でしょう」と自画自賛しています。ですが、そもそも市川はこうしたスポ根ドラマやホームドラマを嫌っていました。市川の企画意図を田口が理解していなかった証拠です。

その後、市川が去った「ウルトラマンA」の脚本を上原正三はしばらく書いていましたが、彼もまた第22話「復讐鬼ヤプール」を最後に降板します。彼もまた「帰ってきたウルトラマン」でウルトラシリーズを描きつくしてしまったのでしょう。その後、「ウルトラマンタロウ」で2本だけ書いていますがあくまでも助っ人としての参加に止まっています。

その後、ヤプールは続く第23話「逆転! ゾフィ只今参上」を最後に退場。一般的にはヤプールはこれで滅んだことになっていますが、脚本を書いて自ら監督も務めた真船禎はその意見を明確に否定しています。曰く、ヤプールは人間の負の心をエネルギーにした悪魔なのでまた蘇ると。市川の考えを真船禎はきちんと理解していたのです。残念ながら、その真船も別の仕事の関係で第24話を最後に「ウルトラマンA」を降板します。

さらに南夕子も第28話「さようなら夕子よ、月の妹よ」で唐突に「実は月星人だった」と語られ、退場します。これは本当に唐突に決まったようで、理由は未だに定かではありません。私はこの話を初めて観た時、北斗に南の指輪を渡しただけで北斗が一人で変身出来るようになった流れに子供心に納得が行きませんでした。ウルトラマンAは北斗と南の二人に別れているはずだからです。実際、第7話と第8話ではウルトラマンAがエースバリアを使うと南夕子の体力だけが著しく消耗されるという設定が語られていますし、第12話ではサボテンダーの針でウルトラマンAが傷ついた時は北斗だけが怪我をして南に傷の手当をしてもらっています。なので「ウルトラマン」第39話「さらばウルトラマン」のようにゾフィーウルトラマンとハヤタを明確に分離したような流れだったら納得したかもしれません。結局、市川森一が考えた設定はほとんどが番組前半で抹消され、ウルトラ兄弟の設定のみが残ったのでした。

しかし、市川森一は最終回を書くことになりました。これは橋本洋二の要請によるものです。第1話を書いて始めたのだから自分で物語の結末をつけなさい、と。これを市川は快く引き受けました。嬉しかったとも語っています。ですが、番組自体は市川の考えた設定が悉く否定されたものになっていました。ですので、第52話「明日のエースは君だ!」でウルトラマンAは超獣の王ジャンボキングを倒すものの、ヤプールの策謀にはまり地球を去らざるを得なくなるという、ハッピーエンドとは言い難い話になっています。最後にウルトラマンAはこう言って地球を去ります。

「優しさを失わないでくれ。 弱い者をいたわり、互いに助け合い、 どこの国の人達とも友達 になろうとする気持ちを失わないでくれ。 例えその気持ちが何百回裏切られようと。 それが私の最後の願いだ」

この言葉、市川は聖書にある場面から発想したのだろうと語っています。イエスが弟子に「自分たちが何編裏切られたら、何編まで許せばいいですか。」と問われたら、「10回でも100回でも裏切られても赦し続けなければならない」という風に答えたという話が。「何百回裏切られようと」というのが重要です。「ウルトラマンA」は市川森一の思いが何度も裏切られた作品でもあるので、それに対する失望の思いもこもっているようです。なお北斗星司を演じた高峰圭二は当時、自分が演じる北斗星司ではなくウルトラマンA(声は納谷悟朗)がこのセリフをいうことに納得が行かず、スタッフに頼み込んだそうですが、その願いは聞き入れられませんでした。そのため、「ウルトラマンメビウス」にゲスト出演した時に、そのセリフを言う場面を追加してもらったようです。また余談ですが、ジャンボキングの素体になった超獣はマザリュース・ユニタング・カウラ・マザロン人でいずれも市川が一時降板している時に登場した超獣ばかりです。これも市川の皮肉がこもっているような気もします。まあ邪推かもしれませんが。

ウルトラマンA」本来の最終回

さて当初の構想通り、北斗と南がともにヤプールと戦う話が続いていたら、「ウルトラマンA」の最終回はどうなっていたのでしょうか? 生前、市川森一はそれについて語っています。北斗と南は人間として愛し合うことにより、ウルトラマンAという神の力を必要としなくなることに気がつきます。そしてウルトラマンAヤプールも消滅します。愛によって心の弱さを乗り越えることにより、ヤプールウルトラマンAも存在意義を失ったからです。そして北斗と南は結ばれて結婚し、子供を産みます。こういう流れの最終回を観たかったと最初にこの話を聞いた時は思いましたが、残念ながら、それはかないませんでした。

おわりに

この記事では「帰ってきたウルトラマン」と「ウルトラマンA」を取り上げました。今までの記事とは違って「ウルトラマンA」では上原正三についてあまり語りませんでしたが、これは市川森一の作品だからなのでしょうね。実質的には「ウルトラマンA」を最後に市川も上原も円谷プロの作品を離れます。上原は東映を中心に活躍し、市川は大人向けのドラマを中心に活躍していくことになります。次回からは上原のその後の活躍を書いていきます。

 

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柔道一直線・仮面ライダー・ロボット刑事 -東映作品、別所孝治プロデューサーとの出会い-

はじめに

これまで脚本家上原正三が脚本家としての才能を開花させるまでの話を書いてきました。この記事では円谷プロを飛び出した上原が新天地で活躍を始めるまでの話を書きましょう。それは東映での仕事となった「柔道一直線」の脚本執筆、「仮面ライダー」の企画参加、そして「ロボット刑事」での脚本執筆です。

柔道一直線

怪奇大作戦」が終わった後、TBSは東映制作の「妖術武芸帳」を放送しました。東映のプロデューサーは平山亨と斉藤頼照。TBSのプロデューサーは橋本洋二です。東映は以前「キャプテンウルトラ」を制作しています。その関係から決まったようです。主役は和製プレスリーの異名でロカビリー歌手として活躍していた佐々木功、後にアニメの主題歌歌手として活躍するささきいさおでした。この作品の企画は紆余曲折を経た上、妖術を駆使する時代劇となったため、京都で製作されました。ささきは制作予定が1年だと聞いたので京都へ引っ越して制作に臨んだそうです。

ところが、「妖術武芸帳」は平均視聴率が13.7%に終わってしまい、たった13話で打ち切られることになってしまいました。「怪奇大作戦」の平均視聴率は22.0%。最高視聴率は最終回の「ゆきおんな」で記録した25.1%で最低視聴率は第25話「京都買います」で記録した16.2%。ファンの人気が高い「京都買います」は本放送当時はあまり観られていなかったのが興味深いところです。20%を下回ったのは他には第14話「オヤスミナサイ」の19.7%だけで常時20%を超えていたことがわかります。なのでこの数字は惨敗とみなされてしまいました。そこで橋本洋二は番組を打ち切って仕切り直しを図ることに決め、始まったのが「柔道一直線」でした。当初は次番組への繋ぎとして1クール13話程度の制作予定だったそうです。引き続き東映が制作したのは2クール分制作するという契約を結んでいたからです。

さてメインシナリオライターは橋本洋二とは旧知だった佐々木守になりました。佐々木守は「巨人の星」の脚本や「男どアホウ甲子園」の原作を担当したりしていますが、水島新司に「こんなに野球のことを知らない人は初めて」と言われるほど、スポーツに関する知識はありませんでした。佐々木は柔道のルールブックを渡された状態だけで脚本を書き上げたのだそうです。「柔道一直線」は荒唐無稽な技が色々と飛び出しましたが、それは佐々木が柔道の知識が全くなかったために発案できたからなのです。近藤正臣が足でピアノを弾く場面は有名ですが、それは佐々木が身の軽さを表現するために発想したもののようです。ちなみにその場面は2回もあります。また佐々木守は「ウルトラマン」での「故郷は地球」のようなテーマ性を帯びた作品を書いていましたが、同時に娯楽性も忘れてはいませんでした。「ウルトラマン」の「空の贈り物」を思い出せばわかります。「ウルトラセブン」の「勇気ある戦い」で佐々木守と組んだ飯島敏宏は白石雅彦著「飯島敏宏「ウルトラマン」から「金曜日の妻たちへ」」の中で「勇気ある戦い」に関してこう証言しています。

飯島 少年の方はまさに感涙むせぶ、ってやつです。資源が枯渇した星なんて社会批判的なところは佐々木守らしいところ。実相(寺)達と組んじゃうとそれがストレートに出るんだけれども、こっちがそこで色々チャンバライズムなんか入れるもんだから、ああいうものができる。実は彼もああいう少年もの、剣豪ものというのは好きなんですよ。

つまり実相とか今野勉とかと組むと、ある種ヌーベルヴァーグみたいなところを出すんだけれども、それと同時に佐々木守は大衆性も持っている。このあとも彼と組んだけれども、大衆性みたいなもので僕とひじょうに波長の合う作家でしたね。大島渚一派と仕事をしているときの佐々木守と、僕と仕事をしているときの佐々木守は使い分けて、全然違うんですね。

柔道一直線」はその佐々木守の両面が出た作品だったと言えるでしょう。

さて上原正三はこの「柔道一直線」に参加しています。当時上原は金城哲夫円谷プロを退社して帰郷するのを見届けた後、円谷プロを退職していました。退職する時は円谷皐から、あなたまでいなくなると困る、と慰留されたそうですが、それでも彼の決意は変わりませんでした。一時は自分も沖縄に帰るつもりだったようです。と同時に結婚もしています。なんともいい加減な、というよりは、テーゲーなというべきでしょうか。その上原を引き留めたのが橋本洋二でした。実は橋本は金城の帰郷前に電話をもらい、この時も彼の帰郷を引き留めたそうです。閑話休題。橋本は上原を「柔道一直線」に呼ぶと同時に佐々木守と一緒に共作もさせています。この時、上原は佐々木守の驚くべき作劇法を目の当たりにすることになります。これは私の考えに過ぎませんが、この経験が後の多作ぶりに繋がっているのではないでしょうか。少し長くなりますが、「怪奇大作戦大全」の中で佐々木守が自身の作劇法について語っていますので、それを引用しましょう。

この頃僕ね、1時間ドラマで考えると年100本書いてましたから、それは忙しかったですよ。ところが僕は単なるアホなんですけど、書くのにあまり時間かからんのですよ。僕はペラで20枚以上1時間で書きますから。1時間ドラマだと、大体120枚じゃないですか、だから6時間で完全に上がるんです。

僕はものを書く人間にしては珍しく朝型なんです。大体朝6時頃起きるんです。昔からそうなんですよ。それで7時に机向かうじゃない。すると大体1時頃上がるんだよ。それで印刷屋にブッ込むと、夕方にはもう印刷が上がっているんですよ。いわゆる準備稿というのが。で監督とかプロデューサーとかとパーッと打ち合わせをして、僕は「隣の応接間貸して」と言って、監督とかプロデューサーの意見入れてダダーッと直しちゃうんです。「はい、決定稿」って。僕の脚本の場合は、そう大直しは出ないんで。全部1日で済んじゃう。あとはお酒飲めばいいというね。

何でそんなに早く書けるかというとね、割とよくノートを取るんです。僕は本からアイデア取ることはないんです。考えるんです。要するに。あの本に面白いことがあったからこうしようなんてことはないんです。ただし事実的なことを確かめることはしますよ。で、他の人は、僕のようなノートの取り方はしないんです。僕はまた馬鹿なことにね、全部文章にしちゃうんですよ。<一条直也はこの日、なぜかミキっぺとケンカした>でノートの右っかわだけで書いて左側は全部空いているんです。そこに後で思いついたことだけを入れていくんですよ。<ミキっぺとケンカをする。ケンカの場所は河原の方が面白い>とか。<単純なケンカじゃなくて木の上でやる>とかそういう風なことを書くんですよ。それをやるもんですからね、書き出すときには大体できているんですよね。

おんや。最後の段落はどこかで聞いたようなことが書かれていますね。「ウルトラセブン」制作中、橋本洋二が「隊長は、出動しか言わないのですか?」と聞いた話を思い出します。あのとき、あの場にいた金城哲夫上原正三は驚いたそうですが、佐々木守は「出動」というまでのプロセスを常に考えていたことがよくわかる証言です。あと、この証言を読んで別に思い出したのが丹波哲郎の逸話です。丹波哲郎は「キイハンター」などでは事前に脚本を読んでおらず、「今日はどの場面を撮るのかな?」とか言いながらその場で読み、即興で演じていたという話です。おそらく丹波哲郎は常に人間観察をしていたので脚本を読むと自分が演じる人物の心境などが瞬時に頭に浮かんだのでしょう。それが証拠に丹波哲郎は弟子入りを志願した宮内洋には、芸能とは関係のない高校や大学へ通って人間観察をしてから弟子入りしなさい、と言って弟子入りを一旦断っています。宮内は高校、大学と通った後、丹波に改めて弟子入りに行き、弟子になったのでした。

閑話休題。対する上原の方は「柔道一直線」について、こう証言しています。「怪奇大作戦大全」から引用しましょう。

橋本さんにはその後「柔道一直線」などでしたたかに鍛えられました。橋本門下には、佐々木守さんがいました。すでに超売れっ子作家でした。3時間で30分ドラマを書き上げるのをみましたよ。トイレにも行かずに一気に書き上げる。驚嘆しましたね。すごい作家でした。

30分は1時間の半分なので3時間で書けたんですね。そして上原は橋本洋二については同書でこう証言しています。

橋本さんほど厳しく作家を育てたプロデューサーはいないんじゃないかな。「柔道一直線」の頃、僕は新婚だったけど、毎日のようにTBSに缶詰になっていましたね。夜の12時1時は当たり前。書いては直し、書いては直しの連続。もちろん相手は橋本プロデューサー。すごかったね。僕と付き合って映画部に詰めているんだから。深夜にタクシーで帰してくれる。女房にケーキの土産までつけてね。ハートの温かい鬼プロデューサーです。橋本洋二という人は。

で橋本洋二は上原をこう評しています。白石雅彦著「「怪奇大作戦」の挑戦」からの引用です。

橋本 ウエショーの偉いところはね、僕が言うことそのままじゃなくて、もう一つ何かをプラスして書き直してくるところです。言った通りに直す人はいくらでもいるんですが、ウエショーは必ず、その通りではない直し方をするんです。この脚本家とは付き合っていけるな、と思いましたね。

さて「柔道一直線」は殺陣を担当した大野剣友会の高橋一俊の功績もあり、大ヒットしました。ある話の予告編の中で桜木健一演じる一条直也が番組へのファンレターの葉書の山の中から飛び出たこともありましたが、それくらいヒットしました。そのため1クール13話の予定が延長に延長を重ね、最終的には92話が制作されました。番組の内容ですが、佐々木守がメインだったためか、主人公一条直也は体制に歯向かうようなところがありました。一条直也が弟子入りした車周作は地獄車という荒技を使ったため柔道界からは一線を引いたところがありましたし、最終的には一条直也とは対立するようになりました。また中学校編の最後でも、高校編の最後でも、一条直也は柔道部を離れざるを得なくなり、柔道の大会には個人として参加するような形になっています。そんな内容も上原の資質に合っていたのでしょう。当初は佐々木守との共作として参加した上原は後に高校編が始まる第4クールをまるまる、第41話から第53話まで単独で執筆しています。もっともその後の第54話から第71話までは佐々木守が書いていますし、最終回も佐々木守が書いていますが。でこの作品で東映と組んだことが後の仕事に繋がります。

仮面ライダー

柔道一直線」が制作されていた頃、東映毎日放送とともに新番組の企画を立てようとしていました。当時、TBSでは毎週土曜日の19:30 - 20:00に「お笑い頭の体操」という番組を放送していました。で当時、毎日放送は今とは違ってTBS系列ではなく、NET(今のテレビ朝日)系列でした。当時TBSは朝日放送とネットを組んでいましたが、ややこしいことに朝日放送は毎週土曜日の19:30 - 20:00は「部長刑事」というドラマを長年放送していました。いずれにしろ、毎日放送が放送するこの時間帯の番組は「部長刑事」や「お笑い頭の体操」には太刀打ちできておらず、それに打ち勝つための新番組を企画していたのです。「柔道一直線」のプロデューサー平山亨は上司の渡邊亮徳、漫画家の石ノ森章太郎とともに企画に参加していましたが、平山はその企画に上原正三も呼びました。さて上原だけではなく市川森一も呼ばれていますが、市川はかつて橋本洋二が担当していたブラザー劇場「彦左と一心太助」で平山と一緒に仕事をした実績があります。余談ですが「彦左と一心太助」の音楽を担当したのは後に「仮面ライダー」で音楽を担当した菊池俊輔です。

 ですが、上原と市川が「仮面ライダー」の脚本を執筆することはありませんでした。正確には市川は一度だけ島田真之と共作していますが、それは市川が島田を自分の代役として紹介したものの、島田が最初に書いた脚本がイマイチだったためです。余談ですが、市川は滝沢真理も紹介しています。なぜ執筆しなかったのかというと、それは橋本洋二と円谷一に呼ばれて「帰ってきたウルトラマン」を書くことになったからでした。なお「仮面ライダー」には「柔道一直線」のスタッフがそのまま移行しています。一説には上原は第1話を書く予定だったそうですが、もし上原と市川がそのまま「仮面ライダー」も書いていたら歴史が変わったのは間違いないと思います。

ロボット刑事

とまあ、一旦は東映作品から離れた上原でしたが、平山亨は後に制作した「ロボット刑事」に上原を呼んでいます。このドラマの脚本を書いたのはメインが伊上勝。ただし、同時期に「仮面ライダーV3」と「イナズマン」も担当していたため、伊上が書いたのは5話(第1話、第2話、第11話、第12話、第26話)。実際は中山昌一と上原正三の分担となりました。「ロボット刑事」は警視庁に配属されたロボットKが特殊能力を持ったロボットを犯罪者にレンタルして利益をあげることを目的としたバドー犯罪シンジケートに立ち向かうという話です。バドーのロボットは1話につき1体ずつ登場しますが、基本的には2話で一つの物語となっていました。「ロボット刑事」は全26話制作されましたが、上原はそのうち8本書いています。特筆すべきは最後に書いた第19話「沖縄の海に謎を追え!!」第20話「水爆飛行船 東京へ!」前後編です。この話は題名からもわかる通り、沖縄を舞台にバドーが暗躍する話です。ギョライマン(第18話のみ)とカラテマン(第18話、第19話)、そしてサイボーグ工作員リンが秘密結社「ゼロ」の依頼で暗躍し、最終的には水爆飛行船で東京に攻め込むという話でした。上原は堂々と沖縄問題を主題にし、沖縄が本土を狙う話を映像化したのです。芸が細かいことに、事件が解決するのは東京上空です。この当時、沖縄は前年に日本に復帰したばかりでした。またこの話はスタッフが上原を労うために沖縄でロケを行なうことになったのだそうです。またバドーのロボットはギョライマンからわかる通り、武器がモチーフのロボットですが、カラテマンは空手家そのままのデザインになっています。カラテマンの武器は琉球空手なのです。これもまた、沖縄を舞台にしたことに因んでいたわけです。

番組自体はさほどヒットしたわけでもなく制作局のフジテレビではあまり再放送も行なわれませんでしたが、この番組で上原はある人物と出会います。それがフジテレビのプロデューサーだった別所孝治です。彼はフジテレビが放送していた子供向け番組のプロデューサーを長年務めており、定年後もフジテレビ映画部に嘱託として在籍し、映画とアニメの放送に従事していました。彼は年下の人物にも「さん」づけで、威張ったり自慢話をせず、自分より立場が下の人物を可愛がっていたそうです。上原も別所に可愛がられ、それがまた彼の人生を変えることになります。それについては後の記事で述べることにしましょう。余談ですが、「ロボット刑事」はJAC(後のJAE)が単独でアクションを担当した初めての番組で第1話と第2話には千葉真一が出演しているほか、千葉治郎がレギュラー出演しています。

おわりに

この記事では橋本洋二、平山亨、そして別所孝治との縁について取り上げました。後に上原は東映東映動画などで活躍しますが、それはこれらの人との出会いがあったからです。彼らと出会い、技量を認められたことが後に色々な仕事に繋がることになるのですが、おいおい取り上げて参ります。ただ全てを取り上げるのは不可能ですので、私が印象に残ったものを取り上げて参ります。

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