柔道一直線・仮面ライダー・ロボット刑事 -東映作品、別所孝治プロデューサーとの出会い-

はじめに

これまで脚本家上原正三が脚本家としての才能を開花させるまでの話を書いてきました。この記事では円谷プロを飛び出した上原が新天地で活躍を始めるまでの話を書きましょう。それは東映での仕事となった「柔道一直線」の脚本執筆、「仮面ライダー」の企画参加、そして「ロボット刑事」での脚本執筆です。

柔道一直線

怪奇大作戦」が終わった後、TBSは東映制作の「妖術武芸帳」を放送しました。東映のプロデューサーは平山亨と斉藤頼照。TBSのプロデューサーは橋本洋二です。東映は以前「キャプテンウルトラ」を制作しています。その関係から決まったようです。主役は和製プレスリーの異名でロカビリー歌手として活躍していた佐々木功、後にアニメの主題歌歌手として活躍するささきいさおでした。この作品の企画は紆余曲折を経た上、妖術を駆使する時代劇となったため、京都で製作されました。ささきは制作予定が1年だと聞いたので京都へ引っ越して制作に臨んだそうです。

ところが、「妖術武芸帳」は平均視聴率が13.7%に終わってしまい、たった13話で打ち切られることになってしまいました。「怪奇大作戦」の平均視聴率は22.0%。最高視聴率は最終回の「ゆきおんな」で記録した25.1%で最低視聴率は第25話「京都買います」で記録した16.2%。ファンの人気が高い「京都買います」は本放送当時はあまり観られていなかったのが興味深いところです。20%を下回ったのは他には第14話「オヤスミナサイ」の19.7%だけで常時20%を超えていたことがわかります。なのでこの数字は惨敗とみなされてしまいました。そこで橋本洋二は番組を打ち切って仕切り直しを図ることに決め、始まったのが「柔道一直線」でした。当初は次番組への繋ぎとして1クール13話程度の制作予定だったそうです。引き続き東映が制作したのは2クール分制作するという契約を結んでいたからです。

さてメインシナリオライターは橋本洋二とは旧知だった佐々木守になりました。佐々木守は「巨人の星」の脚本や「男どアホウ甲子園」の原作を担当したりしていますが、水島新司に「こんなに野球のことを知らない人は初めて」と言われるほど、スポーツに関する知識はありませんでした。佐々木は柔道のルールブックを渡された状態だけで脚本を書き上げたのだそうです。「柔道一直線」は荒唐無稽な技が色々と飛び出しましたが、それは佐々木が柔道の知識が全くなかったために発案できたからなのです。近藤正臣が足でピアノを弾く場面は有名ですが、それは佐々木が身の軽さを表現するために発想したもののようです。ちなみにその場面は2回もあります。また佐々木守は「ウルトラマン」での「故郷は地球」のようなテーマ性を帯びた作品を書いていましたが、同時に娯楽性も忘れてはいませんでした。「ウルトラマン」の「空の贈り物」を思い出せばわかります。「ウルトラセブン」の「勇気ある戦い」で佐々木守と組んだ飯島敏宏は白石雅彦著「飯島敏宏「ウルトラマン」から「金曜日の妻たちへ」」の中で「勇気ある戦い」に関してこう証言しています。

飯島 少年の方はまさに感涙むせぶ、ってやつです。資源が枯渇した星なんて社会批判的なところは佐々木守らしいところ。実相(寺)達と組んじゃうとそれがストレートに出るんだけれども、こっちがそこで色々チャンバライズムなんか入れるもんだから、ああいうものができる。実は彼もああいう少年もの、剣豪ものというのは好きなんですよ。

つまり実相とか今野勉とかと組むと、ある種ヌーベルヴァーグみたいなところを出すんだけれども、それと同時に佐々木守は大衆性も持っている。このあとも彼と組んだけれども、大衆性みたいなもので僕とひじょうに波長の合う作家でしたね。大島渚一派と仕事をしているときの佐々木守と、僕と仕事をしているときの佐々木守は使い分けて、全然違うんですね。

柔道一直線」はその佐々木守の両面が出た作品だったと言えるでしょう。

さて上原正三はこの「柔道一直線」に参加しています。当時上原は金城哲夫円谷プロを退社して帰郷するのを見届けた後、円谷プロを退職していました。退職する時は円谷皐から、あなたまでいなくなると困る、と慰留されたそうですが、それでも彼の決意は変わりませんでした。一時は自分も沖縄に帰るつもりだったようです。と同時に結婚もしています。なんともいい加減な、というよりは、テーゲーなというべきでしょうか。その上原を引き留めたのが橋本洋二でした。実は橋本は金城の帰郷前に電話をもらい、この時も彼の帰郷を引き留めたそうです。閑話休題。橋本は上原を「柔道一直線」に呼ぶと同時に佐々木守と一緒に共作もさせています。この時、上原は佐々木守の驚くべき作劇法を目の当たりにすることになります。これは私の考えに過ぎませんが、この経験が後の多作ぶりに繋がっているのではないでしょうか。少し長くなりますが、「怪奇大作戦大全」の中で佐々木守が自身の作劇法について語っていますので、それを引用しましょう。

この頃僕ね、1時間ドラマで考えると年100本書いてましたから、それは忙しかったですよ。ところが僕は単なるアホなんですけど、書くのにあまり時間かからんのですよ。僕はペラで20枚以上1時間で書きますから。1時間ドラマだと、大体120枚じゃないですか、だから6時間で完全に上がるんです。

僕はものを書く人間にしては珍しく朝型なんです。大体朝6時頃起きるんです。昔からそうなんですよ。それで7時に机向かうじゃない。すると大体1時頃上がるんだよ。それで印刷屋にブッ込むと、夕方にはもう印刷が上がっているんですよ。いわゆる準備稿というのが。で監督とかプロデューサーとかとパーッと打ち合わせをして、僕は「隣の応接間貸して」と言って、監督とかプロデューサーの意見入れてダダーッと直しちゃうんです。「はい、決定稿」って。僕の脚本の場合は、そう大直しは出ないんで。全部1日で済んじゃう。あとはお酒飲めばいいというね。

何でそんなに早く書けるかというとね、割とよくノートを取るんです。僕は本からアイデア取ることはないんです。考えるんです。要するに。あの本に面白いことがあったからこうしようなんてことはないんです。ただし事実的なことを確かめることはしますよ。で、他の人は、僕のようなノートの取り方はしないんです。僕はまた馬鹿なことにね、全部文章にしちゃうんですよ。<一条直也はこの日、なぜかミキっぺとケンカした>でノートの右っかわだけで書いて左側は全部空いているんです。そこに後で思いついたことだけを入れていくんですよ。<ミキっぺとケンカをする。ケンカの場所は河原の方が面白い>とか。<単純なケンカじゃなくて木の上でやる>とかそういう風なことを書くんですよ。それをやるもんですからね、書き出すときには大体できているんですよね。

おんや。最後の段落はどこかで聞いたようなことが書かれていますね。「ウルトラセブン」制作中、橋本洋二が「隊長は、出動しか言わないのですか?」と聞いた話を思い出します。あのとき、あの場にいた金城哲夫上原正三は驚いたそうですが、佐々木守は「出動」というまでのプロセスを常に考えていたことがよくわかる証言です。あと、この証言を読んで別に思い出したのが丹波哲郎の逸話です。丹波哲郎は「キイハンター」などでは事前に脚本を読んでおらず、「今日はどの場面を撮るのかな?」とか言いながらその場で読み、即興で演じていたという話です。おそらく丹波哲郎は常に人間観察をしていたので脚本を読むと自分が演じる人物の心境などが瞬時に頭に浮かんだのでしょう。それが証拠に丹波哲郎は弟子入りを志願した宮内洋には、芸能とは関係のない高校や大学へ通って人間観察をしてから弟子入りしなさい、と言って弟子入りを一旦断っています。宮内は高校、大学と通った後、丹波に改めて弟子入りに行き、弟子になったのでした。

閑話休題。対する上原の方は「柔道一直線」について、こう証言しています。「怪奇大作戦大全」から引用しましょう。

橋本さんにはその後「柔道一直線」などでしたたかに鍛えられました。橋本門下には、佐々木守さんがいました。すでに超売れっ子作家でした。3時間で30分ドラマを書き上げるのをみましたよ。トイレにも行かずに一気に書き上げる。驚嘆しましたね。すごい作家でした。

30分は1時間の半分なので3時間で書けたんですね。そして上原は橋本洋二については同書でこう証言しています。

橋本さんほど厳しく作家を育てたプロデューサーはいないんじゃないかな。「柔道一直線」の頃、僕は新婚だったけど、毎日のようにTBSに缶詰になっていましたね。夜の12時1時は当たり前。書いては直し、書いては直しの連続。もちろん相手は橋本プロデューサー。すごかったね。僕と付き合って映画部に詰めているんだから。深夜にタクシーで帰してくれる。女房にケーキの土産までつけてね。ハートの温かい鬼プロデューサーです。橋本洋二という人は。

で橋本洋二は上原をこう評しています。白石雅彦著「「怪奇大作戦」の挑戦」からの引用です。

橋本 ウエショーの偉いところはね、僕が言うことそのままじゃなくて、もう一つ何かをプラスして書き直してくるところです。言った通りに直す人はいくらでもいるんですが、ウエショーは必ず、その通りではない直し方をするんです。この脚本家とは付き合っていけるな、と思いましたね。

さて「柔道一直線」は殺陣を担当した大野剣友会の高橋一俊の功績もあり、大ヒットしました。ある話の予告編の中で桜木健一演じる一条直也が番組へのファンレターの葉書の山の中から飛び出たこともありましたが、それくらいヒットしました。そのため1クール13話の予定が延長に延長を重ね、最終的には92話が制作されました。番組の内容ですが、佐々木守がメインだったためか、主人公一条直也は体制に歯向かうようなところがありました。一条直也が弟子入りした車周作は地獄車という荒技を使ったため柔道界からは一線を引いたところがありましたし、最終的には一条直也とは対立するようになりました。また中学校編の最後でも、高校編の最後でも、一条直也は柔道部を離れざるを得なくなり、柔道の大会には個人として参加するような形になっています。そんな内容も上原の資質に合っていたのでしょう。当初は佐々木守との共作として参加した上原は後に高校編が始まる第4クールをまるまる、第41話から第53話まで単独で執筆しています。もっともその後の第54話から第71話までは佐々木守が書いていますし、最終回も佐々木守が書いていますが。でこの作品で東映と組んだことが後の仕事に繋がります。

仮面ライダー

柔道一直線」が制作されていた頃、東映毎日放送とともに新番組の企画を立てようとしていました。当時、TBSでは毎週土曜日の19:30 - 20:00に「お笑い頭の体操」という番組を放送していました。で当時、毎日放送は今とは違ってTBS系列ではなく、NET(今のテレビ朝日)系列でした。当時TBSは朝日放送とネットを組んでいましたが、ややこしいことに朝日放送は毎週土曜日の19:30 - 20:00は「部長刑事」というドラマを長年放送していました。いずれにしろ、毎日放送が放送するこの時間帯の番組は「部長刑事」や「お笑い頭の体操」には太刀打ちできておらず、それに打ち勝つための新番組を企画していたのです。「柔道一直線」のプロデューサー平山亨は上司の渡邊亮徳、漫画家の石ノ森章太郎とともに企画に参加していましたが、平山はその企画に上原正三も呼びました。さて上原だけではなく市川森一も呼ばれていますが、市川はかつて橋本洋二が担当していたブラザー劇場「彦左と一心太助」で平山と一緒に仕事をした実績があります。余談ですが「彦左と一心太助」の音楽を担当したのは後に「仮面ライダー」で音楽を担当した菊池俊輔です。

 ですが、上原と市川が「仮面ライダー」の脚本を執筆することはありませんでした。正確には市川は一度だけ島田真之と共作していますが、それは市川が島田を自分の代役として紹介したものの、島田が最初に書いた脚本がイマイチだったためです。余談ですが、市川は滝沢真理も紹介しています。なぜ執筆しなかったのかというと、それは橋本洋二と円谷一に呼ばれて「帰ってきたウルトラマン」を書くことになったからでした。なお「仮面ライダー」には「柔道一直線」のスタッフがそのまま移行しています。一説には上原は第1話を書く予定だったそうですが、もし上原と市川がそのまま「仮面ライダー」も書いていたら歴史が変わったのは間違いないと思います。

ロボット刑事

とまあ、一旦は東映作品から離れた上原でしたが、平山亨は後に制作した「ロボット刑事」に上原を呼んでいます。このドラマの脚本を書いたのはメインが伊上勝。ただし、同時期に「仮面ライダーV3」と「イナズマン」も担当していたため、伊上が書いたのは5話(第1話、第2話、第11話、第12話、第26話)。実際は中山昌一と上原正三の分担となりました。「ロボット刑事」は警視庁に配属されたロボットKが特殊能力を持ったロボットを犯罪者にレンタルして利益をあげることを目的としたバドー犯罪シンジケートに立ち向かうという話です。バドーのロボットは1話につき1体ずつ登場しますが、基本的には2話で一つの物語となっていました。「ロボット刑事」は全26話制作されましたが、上原はそのうち8本書いています。特筆すべきは最後に書いた第19話「沖縄の海に謎を追え!!」第20話「水爆飛行船 東京へ!」前後編です。この話は題名からもわかる通り、沖縄を舞台にバドーが暗躍する話です。ギョライマン(第18話のみ)とカラテマン(第18話、第19話)、そしてサイボーグ工作員リンが秘密結社「ゼロ」の依頼で暗躍し、最終的には水爆飛行船で東京に攻め込むという話でした。上原は堂々と沖縄問題を主題にし、沖縄が本土を狙う話を映像化したのです。芸が細かいことに、事件が解決するのは東京上空です。この当時、沖縄は前年に日本に復帰したばかりでした。またこの話はスタッフが上原を労うために沖縄でロケを行なうことになったのだそうです。またバドーのロボットはギョライマンからわかる通り、武器がモチーフのロボットですが、カラテマンは空手家そのままのデザインになっています。カラテマンの武器は琉球空手なのです。これもまた、沖縄を舞台にしたことに因んでいたわけです。

番組自体はさほどヒットしたわけでもなく制作局のフジテレビではあまり再放送も行なわれませんでしたが、この番組で上原はある人物と出会います。それがフジテレビのプロデューサーだった別所孝治です。彼はフジテレビが放送していた子供向け番組のプロデューサーを長年務めており、定年後もフジテレビ映画部に嘱託として在籍し、映画とアニメの放送に従事していました。彼は年下の人物にも「さん」づけで、威張ったり自慢話をせず、自分より立場が下の人物を可愛がっていたそうです。上原も別所に可愛がられ、それがまた彼の人生を変えることになります。それについては後の記事で述べることにしましょう。余談ですが、「ロボット刑事」はJAC(後のJAE)が単独でアクションを担当した初めての番組で第1話と第2話には千葉真一が出演しているほか、千葉治郎がレギュラー出演しています。

おわりに

この記事では橋本洋二、平山亨、そして別所孝治との縁について取り上げました。後に上原は東映東映動画などで活躍しますが、それはこれらの人との出会いがあったからです。彼らと出会い、技量を認められたことが後に色々な仕事に繋がることになるのですが、おいおい取り上げて参ります。ただ全てを取り上げるのは不可能ですので、私が印象に残ったものを取り上げて参ります。

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