さらば、上原正三

上原正三が亡くなったのは2020年1月2日。彼の生涯を振り返ってきましたが、私は彼が書いた作品を観て育ってきたのだなあとしみじみと思いました。私が取り上げなかった作品の一部を挙げても、これだけあります。

上原が結婚したのは1969年。彼は自分の子供の反応もみたりしていたそうです。以前も書きましたが、上原の年齢が私の父と近かったのも関連があるのだと思います。

彼は金城哲夫と出会って上京し、金城とは対照的に琉球人としてヤマトに残る道を選びました。その反骨精神が最後の最後まで貫かれたのだろうと思います。上原正三はウルトラ5つの誓いで「他人の力をあてにしないこと」と書きました。これは市川森一からは「人は一人では生きていけない」と言われたそうですが、ヤマトで独りで生きていく自分の生き方を挙げたものだったのでしょう。ただ市川とは仲が良かったのは以前も書いた通りです。仲が良かったからこそ、そういう論争もできたのでしょう。

また引用した本を書いてくださった白石雅彦さんをはじめとする皆さん、本当に参考になりました。ありがとうございます。

さて最後に一つの逸話を書きましょう。それは長坂秀佳についての話です。上原が多作だったのはこれまで書いた通りですが、「快傑ズバット大全」で長坂はインタビューで次のエピソードを話しています。ある時、上原正三が「週8本執筆した」という話を長坂は耳にしたそうです。それを聞いた長坂は「本数で負けてなるものか。1度抜いてやろう」と1週間で12本執筆したことがあったのだそうです。ただし、作品に質を落とさないようにするため、脚本だけではなくテレビ番組の構成台本の仕事も含めたそうですが。これを読んだ私は、なんでも日本一という早川健長坂秀佳自身を書いたものだったのだなあ、と思いました。おそらく上原自身はそんな話を聞いたとしても意に介さなかったでしょうが。

上原正三さん、本当にお疲れ様でした。

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